伊藤整「火の鳥」の謎

 私が高校生の時使っていた国語便覧(京都書房)に、伊藤整が一ページを使って紹介されていた。

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鴎外、漱石、藤村、芥川、谷崎、川端らが見開き二ページで、太宰、小林多喜二中島敦が一ページだったから、ほう伊藤整ってそんな偉い作家なのかと思った。下に代表作を紹介する欄がありそこでトップに来ていたのが『火の鳥』で、1953年刊行当時ベストセラーになったという。当時チャタレイ裁判や『女性に関する十二章』で伊藤整ブームが起きており、うちにも文学青年だった父の買ったらしい『伊藤整全集』や、『火の鳥』もあった。その後、『氾濫』を読んだりして割と伊藤整を評価したりもしたのだが、『火の鳥』だけは女優を主人公にしたド通俗小説で、特に面白くもなく、なんでベストセラーになったのかも謎であった。ここに書いてある通り、川端康成の『雪国』『山の音』『千羽鶴』と同じように、短篇としてあちこちに発表してからまとめて長編にする形式をとっており、初出は、

1949年2月「むしばめる花」人間
1950年3月「造花」展望
  11月「誘惑」新潮
1951年1月「変幻」小説新潮
1952年8月「火の鳥文藝春秋
1953年1月「渦巻」新潮
   11月「薔薇座」新潮
     11月「猿と人」中央公論文藝特集

   11月『火の鳥』光文社

 となっている。伊藤は若いころ川端の『小説の研究』を代作しており、そのことを不快に思っていたし、戦後臼井吉見に、川端は文壇政治家だと語っており、川端にコンプレックスを持っていたので、真似をしたのだろう。純文学雑誌と中間小説誌にともに載せるあたりが川端張りだが、もちろん今では誰も『火の鳥』を名作だとは言わない。

 昨日、アマゾンプライムに入っていた井上梅次監督・月岡夢路主演の「火の鳥」(1956)を観たが、キネマ旬報ベストテンでも一点も入らない通俗映画だった。もちろん今では国語便覧で伊藤整に一頁が割かれることもない。

 なお伊藤の評論として「近代日本における”愛”の虚偽」を今も引用する人がいるが、これは間違っている。伊藤はキリスト教が恋愛を推奨しているとでも思っているようだが、そんな事実はなく、むしろ近代西洋人が虚偽の上に近代恋愛を成立させたのである。

小谷野敦