「キャンディ♡キャンディ」のストーカーを勇気づける部分

水木杏子原作、いがらしゆみこ作画「キャンディ♡キャンディ」の最後のほうで、最初のころイライザとともにキャンディをいじめていたニール・ラガンが、キャンディの魅力に気づき、結婚したいと言い出す。アードレー家のエルロイ大おばさまがそれを認めて、あわやキャンディは嫌なニールと結婚させられそうになり、キャンディはウィリアム大おじさまに会いに行って苦境を訴えようとするが、大おじさまは何と前から知っていたアルバートさんで、アードレー家に現れたアルバートさんは、もちろんニールとの結婚など認めないのである。

 そのあと、涙にくれるニールに、イライザと母が、東部へ旅行に出かけましょう、きっとあっちにはもっときれいな女の人がいるわよ、と言い、ニールが「ぐすっ、そ、そうかな」と言っているのを漏れ聞いたキャンディは、あきれ顔で「あれだものね。ニールの気持ち、分からないわ。ほんとうに私を好きでいてくれたのかしら」と言うのだが、これは実はストーカーを勇気づける危険なセリフである。「そうか、ちょっとやそっとで諦めるようじゃ、本気度を疑われてしまうんだ。どこまでもどこまでも追い求め続けなければ」と思ってしまうのである。注意されたい。

(小谷野敦)

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大人ぶる

ふと思い出したんだが、私が大学生のころ、さる先輩が、希望した職種に就職することができず、コンピューター会社とかに就職が決まったことがあった。ところがその先輩は深く落ち込んでいて、どこに就職することになったのかと訊いても黙って答えないという状態であった。

 私は別の女の人と、それは変なことだ、相手の会社に対しても失礼だよね、という話をしたのだが、その時「失礼だよね」と言ったのは、要するに大人ぶってみたかったのだなあ、ということを今にして感じる。もちろん私はその会社に対して何の感情も抱いてはいなかったのである。時に人はこのように大人ぶりたがるものだ、というそれだけのことだ。

(小谷野敦)

わからない小説

 今回の芥川賞を受賞した「ゾンビ回収婦」は私には理解不能な小説だった。前回の「叫び」「時の家」も理解不能な前衛だったし、その前には井戸川射子など、最近、前衛小説の受賞が増えており、井戸川に至っては売れないのに各社が単行本を出すという異例の状況になっており、各社営業部では苦情が出ているのではないかと思うが、それも芥川賞の権威で押し切ったのだろうか。

 過去にも「おどるでく」などが受賞した時は、同時受賞がやはり前衛の「タイムスリップ・コンビナート」だったこともあり、当時は芥川賞は今ほど注目されていなかったが、じわりと「分からない」という言葉が聞こえてきたし、「おどるでく」は、当時は文庫化しないほど売れなかった。

 1970年頃、石川達三など芥川賞の選考委員から「わからない小説」という発言が出たこともあるし、77年には、選考委員の永井龍男が、前回の「限りなく透明に近いブルー」の受賞に反対し、池田満寿夫の「エーゲ海に捧ぐ」にも反対したのだが受賞したことで、選考委員を辞任した。今はそういうことは起こらない。

 しかし、「わからない小説」といえば、三島由紀夫の『金閣寺』だって、私も理解不能だし、奥野健男も、なぜ金閣寺が「美」なのか、まったく分からない、これは三島が母や祖母に抑圧されてきた「女」の象徴だろうし、実際に金閣寺を焼いた僧は単なる統合失調症だったろうと書いている。三島の場合には最後の作品となった「豊穣の海」が賛否両論で、三島が自決してやけくそになった川端はこれを絶賛して、ちょっとおかしくなったと言われたが、小西甚一は『日本文藝史』の最後で、日本近代文学の最高の達成だと持ち上げている。

 ほかにも安部公房、笙野頼子など前衛的な作風の作家はいたが、今世紀に入ってから、黒田夏子、高山羽根子ときて、井戸川射子に、前回と今回の芥川賞と、増えている気がする。問題は、文藝春秋や新潮社の編集者が、営業的にこれをどう考えているかということである。

蝉谷めぐ実『見えるか保己一』書評(週刊読書人掲載)

 蝉谷めぐ実は三十三歳くらいか。大阪生まれで、早稲田で歌舞伎を学んだ。独特の文体は、誰も真似できないと言われた泉鏡花を思わせ、若くして山田風太郎賞などいくつかの文学賞を受賞しているが、直木賞はまだ候補にもなっていない。それまで、歌舞伎に親しんだ者として江戸趣味の世界を華麗に描いてきたが、今度は一転して、塙保己一という国学者、盲目の身ながら『群書類従』という和書の叢書を完成した人物を描いている。ただしこの題名の意味は、最後まで来ないと分からないようになっている。
 徳川幕府は、儒教の精神に則って盲人保護になぜか注力し、当道座という組織を作り、盲人に高利貸をする特権を与え、勾当、検校などの階級を作った。塙保己一は、武蔵国保木野村(現在の本庄市)のカイコ農家に生まれ、七歳で失明したが、江戸へ出て、抜群の記憶力で古典的書物を暗記し、ついに総検校の地位にまで上り詰めた、いわば「偉人」である。埼玉県を第二の故郷とする私には、「郷里の偉人」ということになろう。
 ヘレン・ケラーも塙保己一の伝記を愛好したというが、蝉谷は、そういう「偉人伝」や「感動ポルノ」にしたくないという意気込みで、なかなか手の込んだことをしている。最後の参考文献一覧に「感動ポルノ」についての書籍があるので、そのもくろみが分かる。文章は、歌舞伎ものを書いていた頃よりは読みやすくなっているが、それでも時おりアクロバティックになって、気を抜くと話の筋が分からなくなる。
 保己一の四男とされる塙次郎忠宝は、幕末期に、何かの勘違いから暗殺された国学者で、殺した二人のうち一人が伊藤博文だということで知られている。保己一には何人も子供がいたようだが、最初の妻おていは離縁され、二番目の妻が来たが、次郎などは、手伝いに来ていた女岡田イヨというのを妾にして、これが生んだ子だとされている。蝉谷は、最初の妻の不義密通のことなど、いわば保己一の人生の暗い面を描き込もうとしている。「くにゅくにゅ」など、得意の擬態語に始まって、細かな工夫が縦横に張り巡らされた力作である。最近の歴史小説によくある、推理小説的な伏線の使い方も目についたが、私には推理小説というより、ディケンズ的なものが感じられた。
 ちょっと日本語で気になったのは「ちげえ」というセリフが出てくるが「違う」を「ちげえ」とする、変則的な音便は、一九九八年ころに出現した極めて新しいもので、徳川時代にはないだろう。あと「辰ちゃん」のような呼び方が出てくるが、これも明治以後のものだろう。あと一箇所だけ出てくる「一耳置いて」というのは、盲人の話だから洒落た言葉を造語したのだろうか。
 美談にしたくない、と言いつつ、この小説の保己一はどうも「純粋」な人めいている。立身出世欲もあるだろうし、性欲も人一倍強かったのではないか。そこを描いてほしかった。
 しかし考えてみると、盲人を描くとなった時点で、あまり汚く描くことができないという制約が社会的にあったのではないか。ましてや想像で描くとなると、事実だからという言い訳もできず、盲人を描きつつ美談、偉人伝にしないという計画自体に無理があったのではないかという気さえする。ところで保己一について、古典を並べただけで、自分で何か書いたわけではない、という悪口を言う人もいるが、そういうのも取り入れたら面白かったと思う。
 とはいえ、この作家の腕力は並大抵のものではない。いずれ直木賞もとるだろう。作家には、二種類ある、ともいえる。玄人筋から賞賛されて多くの文学賞をとるが、読者の数はさほど多くない作家と、その逆である。蝉谷は今、前者の道を堂々と歩いている気がする。だが、今の文章は、読者に負担を強いている気がする。どうだろうか。だが、以前に比べても読みやすくなっており、今回の作品でも前半より後半のほうが読みやすくなっており、今後この文章をどうするかについても含めて、歴史小説作家として目の離せない作家であることは間違いない。
(この後、直木賞候補になって受賞も期待されたのだが受賞はならなかった。私は読みにくいのが難点だと思っていたが、アマゾンレビューのレビュアーはどうも熱狂的で、読書メーターのレビュアーのほうが冷静に読みにくさを指摘していた。アマゾンのレビュアーが熱狂的だったのは、著者の意図に反して、感動ポルノ的に読んだからではないかと私は考えている。澤田瞳子の書評は、保己一のエゴイズムも描いているという書き方だったが、私にはそうは見えず、保己一がぼうっとしているように描かれていると思ったのだが、それはやはり読者の中に、盲人を悪く書いてはいけないという意識があり、蝉谷もそこでいくぶん手を緩め、澤田はそこを蝉谷に甘く解釈したからではないかと思っている。実際には「感動ポルノ」を抜け出すことに、完全には成功しなかったと私は見ている。)

(小谷野敦) 

おもちゃ屋にて

 私が高校二年の時まで住んでいた越谷市谷中町では、自転車で30分くらいのところにあるスーパー「マルヤ」で買い物をするのが普通で、その向かいに「越谷マンション」というのが建っており、その一階が書店、電気店、奥におもちゃ屋などがあり、私はよくそこの書店へ本を見たり買いにいったりした。

 たぶん、高校二年の時だったか、奥のおもちゃ屋へ行って見ていると、小学生の男児が三、四人やってきて、見ていると、何だかプラモデルの商品の箱をあけて中を出しているように見えたから、ぎょっとしていると、その時店番をしていた若い女もそれに気づいて近寄っていき「何してるの~」と声をかけた。すると男児の一人が「えっ、これ俺たち持ってきたやつだよ」と言った。若い女はそのまま引き下がった。

 家へ帰って母にその話をすると「そういうの、わざとやるのよ」と言った。つまり、若い女が店番であるのを見越していたずらをしたということか。確かに、男が店番だったら、怒って追い出したかもしれない。だが、私が小学生だった時にそんな変ないたずらはしなかった。この話を思い出すと、何ともいや~な暗い気分になる。

(小谷野敦)

ラジオと独歩

 私は小学校六年生の終りに、お年玉でラジカセを買った。テレビの音声が12チャンネルまで入る最新型のもので、それで「新八犬伝」の最後のほうを録音したり、「真田十勇士」を録音したり、「みんなのうた」を録音したり、「基礎英語」や「中学生の勉強室」を聴いたりしていた。だからラジオでは、NHK第二放送を聴くことが多かった。

 ある晩、ふとラジオをつけると、その第二放送で、大学の先生みたいな人が話をしていたが、何の番組かは、私の部屋には新聞がないので分からなかった。だが聞いていると盛んに「ドッポは」と言っているから、ああ国木田独歩かと思った。独歩といえば、佐々城信子との離別からずっと不遇な作家で、死ぬ間際になって独歩ブームが起き、文学青年はみな『独歩集』を読んだというが、その部数が僅か五百部だったという。

 私が独歩を実際に読んだのは大学へ入ってからだったが、どうも独歩というと、中学生時代の冬(?)の夜にラジオで聞いた「ドッポは・・・」を思い出してしまうのである。もっとも、顔はしゅっとして女にはもてたらしいが。

(小谷野敦)

 

野間賞と谷崎賞とブッカー賞

『文学界』八月号の巻末随筆で、松浦寿輝が、カズオ・イシグロのインタビューに触れて、ブッカー賞について語っている。イシグロは、英国のブッカー賞は80年代に、ロングリスト、ついでショートリスト(最終候補)を公表することによって世間の文学好きの好奇心を巧みにかきたて、文学を盛り上げたという。

 松浦は、日本では芥川賞がそれに成功しているが、谷崎賞や野間文芸賞はある時期から候補作を発表しなくなり、それもあって盛り上がりを欠くことになったという。谷崎賞と川端賞の候補作発表がなくなったのは、ともに金井美恵子の提言のせいだが、私も、候補作の発表がなくなったのは確かに松浦が言うような結果をもたらしたと思う。金井は、ベテラン作家が候補に挙げられて落とされるのは失礼だと、はじめは中上健次のことで、次には自分のことで言ったのだが、そこは松浦と二人で議論してくれればいい。

 もっとも、最近の野間文芸賞の受賞作を見ていると、谷崎賞もいくらかそうだが、もう「純文学の終り」も近いという気がする。昨年の村田沙耶香はいいが、その前の十年くらい、とても一般読者に広く読まれるというような、かといって玄人が感心するというのでもない、いかにも人に読まれない純文学という作品に授与されてきた。谷崎賞はまだましだが、それでも往年の勢いはない。ところで、講談社出身の村上春樹はなんで野間賞をとっていないのだろう。まあかつての古井由吉のように辞退しているということもあるかもしれないが・・・。

 しかし、言いたいことはある。たとえばブッカー賞は、毎年選考委員を総入れ替えしている。作家だけではなく、文藝評論家など幅広く選んでいる。それに対して、日本の文学賞の、選考委員が居座り続けるさまはどうであろうか。岡井隆と岡野弘彦のように、50年近く短歌の賞の選考委員をしていたのは論外に近いが、小説のほうでも、有力作家がいくつもの賞の選考委員を兼ねたり、十年以上勤め続けることが少なくない。日本で唯一、選考委員の入れ替えが多いのはSF大賞などSF協会の賞くらいだ。

 あと言えば、ブッカー賞は長編に与えられる賞だが、私の見たところでは半分くらいが、日本でいえば直木賞というような中間小説的なものに与えられている。

 あと気になったのが、イシグロがイアン・マキュアーンやマイケル・オンダーチエを差し置いてノーベル賞をとったと書いてあるが、オンダーチェはカナダの作家だし、イシグロは出生地主義によって日本の作家として村上春樹を押しのけて取ったというのが正しいだろう。

(小谷野敦)