「絶望の裁判所」半分まで読んだ感想

瀬木比呂志という、元裁判所の判事で、明大教授に転じた人が十年前に書いた『絶望の裁判所』(講談社現代新書)が売れているというので図書館から借りてきたが、妙に読みにくく、半分で挫折した。この人は、日本の裁判所は海外に比べてひどいとか、2000年以後ひどくなっていると言いたいらしいのだが、私は裁判所というのは人間主義的な発想で動いているのではなく、判例に基づいて非人間的な判断をするところで、それを適宜利用するしかないと思っているのと、海外の裁判所がそんなにいいとも思えないので、この著者はアメリカに留学したことがあるというが、それはアメリカの裁判所のいいところだけを見ているんだろうと思った。

 それに、官僚の世界というのも冷酷非情な人間でないと務まらないと考えているので、この人はそれが合わなかったんだろう、とも思う。実際には大学教授の世界もそれなりに面倒くさいのだが、それでも裁判所よりはましだったということか。

 あと、最近は日本でも最高裁トランスジェンダーに関する変な判決を出したりしているが、この著者はどうも「民主的」らしいが、そういうことをどう考えているのか分からないので、これも「絶望の裁判所」のうちなのかどうか、気になった。

小谷野敦

生涯でいちばん不味かった食事

 ふと思い出したのだが、大学一年から二年生のころ、私は綾瀬にある塾で教えていて、そこは東大生が教えるというのをウリにしていた。ただし男子だけだった。だがその中に一人だけ、東大生ではない人が、教えている学生の紹介で教えに来ていたらしい。ところがその人の教え方が行き当たりばったりで、塾の教頭みたいな30代の人から、「それは君が遊んでるんじゃないか」と言われ、いろいろ話した結果、その人は辞めることになった。

 ということを、ある土曜日の夜、アルバイト学生十人くらいが集められて、塾を主宰する50代くらいのおじさんから説明を受けた。その東大生じゃない人を紹介した人は、何も知らなかったらしく、驚いて、その当人は別室にいるので、ボク連れてきます、と言い、おじさんは「いや、それはいいと思います」と制止し、それを聞いていたらしい当人が顔を出してその人に、いや、俺あっちにいるから(あとで話に来てくれれば)みたいなことを言った。

 その説明が済んで、近くの大衆食堂からとったらしい、ご飯に、ただ玉葱を切って炒めただけのものがついている定食が配られてみなで食べたのだが、誰もほとんど口を利かず、実際よほど安くて不味い食事だったのだが、生涯であれほど不味い食事というのは食べたことがなかった。そのアルバイト学生の一人が、坂仁根という、今は弁護士になっている、当時は写真に夢中になっていて大学卒業後写真学校へ行った人である。

小谷野敦

90歳代で死んだ人(2024)

今年は私の目にとまった限りこれだけの人が90代で死んでいる。2023年には同じ基準で11人、今年は30人だったので、年々増えているということで、2025年は50人くらいになるかもしれない。

 

利根川裕(96  
粟津則雄(96  
宗田理(95   
小山内美江子(94 
鷹羽狩行 (93  
久我美子 (93 
白石かずこ (93 
市村真一  (99 
山田宗睦 (99  
エドナ・オブライエン (93 
湯浅譲二  (94  
桂米丸(99   
新川和江(95  
荒井献(94   
宇能鴻一郎(90 
フレドリック・ジェイムソン(90 
細江英公(91  
斎藤栄(91   
白井佳夫(92  
大山のぶ代(90
高階秀爾 (92
上村淳之 (91
吉田蓑助 (91
谷川俊太郎 (92
猪熊葉子 (96
小中陽太郎(90
間宮芳生(95
久里洋二(96
渡辺恒雄(98
川田順造(90

子供のころ本当だと思っていたがあとでウソか間違いだと分かったもの

木下藤吉郎墨俣城を作った→ウソ

オーソン・ウェルズが「宇宙戦争」をラジオで流したら本気にした人たちのパニックが起きた→都市伝説

レミング集団自殺をする→都市伝説

サブリミナル効果→実は大してないことが分かった。

・サピア・ウォーフの仮説、エスキモーには雪を表す言葉が何百とある→後者はウソ、前者もほぼ間違い

北京原人ジャワ原人が人間の祖先→ではなかった。

・ワープ航法→できないことが分かった。

イエズス会士はいい人たち→日本侵略を考えていた。

ゴジラのような巨大な怪獣は地球上では直立できない。

宮澤賢治ゴッホのように天才芸術家は死んでから評価される→そうでもない。

ポツダム宣言受諾後皇居の前で泣く人たちの写真→やらせ。

・大戦中、日本中で空襲があった→田舎ではなかった。

・戦後、食糧難で人々はヤミ米に頼った→田舎ではなかった。

杉田玄白らが「ターヘル・アナトミア」を訳した時、「フルヘッヘンド」という言葉が分からずみなで知恵を集めて分かった→そんな言葉は原書にない。

・しゃっくりを止める方法で、お椀に水を入れて真ん中より向こう側の水を飲む→効かない。

・本を出すと印税ガッポガッポ→一部の売れてる作家だけ。

タモリがニセ外国語を始めた→藤村有弘が先。

・プロレスの流血試合→自分やレフェリーがカミソリで切り、氷をあてて止血し、夜の部では同じところをまた切ったりする。

・「刑事コロンボ」は日本で翻訳が出ている→シナリオをもとに日本人がノベライズしたもの。

・「ドリトル先生」シリーズは井伏鱒二が訳している→石井桃子が訳したのに井伏が手を入れたもの。

シェイクスピアは民衆演劇→王侯貴族の観るものだった。

・歌舞伎は民衆演劇→裕福な町人や武士の観るものだった。

・「ウルトラセブン」の「盗まれたウルトラアイ」など怪獣の出ないものは、シナリオ作家が上層部に抵抗して人間ドラマを書いた→怪獣の着ぐるみを作る予算がなかった。

田中角栄は小学校卒→中央工学校(専門学校)を出ている。

・落語は江戸時代から明治にかけて作られた→原型はそうだが、今聴いている落語がまとまったのは昭和になってから。

・演歌は昔からある→1970年代に完成した。

・前近代、東北の人と九州の人は話が通じなかった→庶民はそうだが武士には武士の共通語があったから勝海舟西郷隆盛は話ができた。

アメリカ軍は京都に文化財が多いというのでほとんど空襲をしなかった→原爆投下予定地の一つだったのでその効果を見るために広島や新潟と同じく空襲しなかった。

・進化論を説明する、首の長いキリンと短いキリンの絵はミスリーディング。

・「を」は「うぉ」と発音する→「お」と発音する。

・日本人はユングが好き→村上春樹が世界中で売れたからユングは世界的に人気がある。

30日追加

・脳は10パーセントくらいしか使われていない→割と全部使っていた。

・舌を噛むと自殺できる→怪我はするが死ぬ要因はむしろ舌が喉に詰まることによるので、効果的な自殺法とはいえない。

ヘレン・ケラーはサリバン先生の教えで、水に「ワーラー」という名前があることを知った→まだ三重苦になる前に水がワーラーだと教えられて覚えていたのを思い出しただけである。第一耳の聞こえないヘレン・ケラーにはサリバン先生が「ワーラー」と叫んでも聞こえない。

・オオカミに育てられた少年や少女は実在しない。

1日追加

・「十手」「十戒」「五十点」の読みは→「じって」「じっかい」「ごじってん」

 

最初に褒めてくれた人

その昔、私が阪大にいたころ、ある同僚ではない友人が、車谷長吉白洲正子をいつも褒めるのは、車谷が無名のころ白洲が褒めてくれたからだという話をした。

 そういう「最初に褒めた人への義理」というのは結構あって、筒井康隆は『ベトナム観光公社』を丸谷才一が褒めてくれたことがあるため、生涯丸谷に頭が上がらず、筒井らしくなく丸谷を褒め、擁護していた。金井美恵子は最初「愛の生活」で太宰治賞に応募したが、それは選考委員に石川淳がいたからで、作品は最終選考には残ったが受賞せず、佳作でも優秀作でもなかったが石川淳の熱い推薦のため『展望』に掲載され、金井はデビューしたため、金井はのちに石川淳が死んだあと、石川淳の小説はその後つまらないと思うようになったが、恩があるから言えなかったと言っていた。

 西村賢太なら、初期に褒めてくれたのは久世光彦だが、これは早くに死んだのであまり気にせずに済んだ。実は最初から褒めていたわけではない石原慎太郎を、最初から褒めていたかのように言って親しくしていた。大江健三郎なら最初に取り上げてくれたのは平野謙だが、これは『みずからわが涙をぬぐいたまう日』の誤読書評事件以来、距離ができてしまったが、平野が死んだ時は追悼文を書いている。

 谷崎潤一郎でさえ、初期に褒めてくれた永井荷風のことはかなり気に掛けていて、『つゆのあとさき』なんか絶賛したが、谷崎だけが褒めていたとも言われる。芥川龍之介を最初に褒めたのは、もちろん夏目漱石だし、川端康成を最初に褒めたかどうかはともかく、面倒を見てくれたのは菊池寛だ。泉鏡花を最初に認めたのは、まあ尾崎紅葉だろう。大正期になると、他の作家というより『中央公論』の滝田樗陰に認められるのが一番嬉しかったりもする。

 戦後になると、新人賞や芥川賞があるから、特に誰が誰を、ということは少なくなるが、大岡昇平小林秀雄の弟子筋だとか、深沢七郎正宗白鳥が褒めたとか、小川国夫が自費出版で出した『アポロンの島』は大して売れなかったが、買った島尾敏雄が数年後に新聞で絶賛して名があがったとか、大庭みな子の『三匹の蟹』は江藤淳が絶賛したとか、笙野頼子群像新人賞受賞は藤枝静男が泣いて頼んだからとか、新井素子を見出したのは星新一だとか、そういう逸話はある。田中康夫は、江藤淳が勘違いして絶賛したようなところがあった。フランス文学者だった福田和也を文藝評論家としてデビューさせたのも江藤だったが、これもややボタンのかけ違いめいたところがある。

 川端康成は、北条民雄岡本かの子を世に出した、名伯楽としての面もあり、大江健三郎大江賞を創設して若い作家に授与していたが、特に大江が見出したということはなかった気がする。それに対して、丸谷才一は、辻原登池澤夏樹など、目をかけた作家はどんどん賞をやって出世させた。多和田葉子奥泉光阿部和重などは、柄谷行人か「批評空間」グループが引き上げたような印象があるし、川上未映子は『早稲田文学』で渡部直己が見出したと自分で言っている。

小谷野敦

 

源流がダメということ

 私は以前、手塚治虫は苦手だなあ、と思っていた。永井豪の「デビルマン」や、石森章太郎の「サイボーグ009」は好きなのに、その源流である手塚は、嫌いではないが、あきたりないと感じていた。その後、図書館に講談社の全集があったのでぽつぽつ読んでいって、これはすごい才能だなあ、と思いつつ、結局永井豪や「サイボーグ009」が私の世代にフィットしたので、それより前の手塚が古くさく見えただけなんだろうなあと思っている。

 ところが近ごろ、小説の世界でも、これに似た現象が起き始めた。たとえば私は村田沙耶香の「コンビニ人間」を傑作だと思っているし、村田のそれ以外の、SFでない作をなかなか面白いと思っているのだが、村田が好きだったという星新一の本領であるショートショート類は受け付けない。『祖父・小金井良精の記』はみごとな伝記だったが、村田が好きだったのはこれではないだろう。

 あるいは、九段理江の『しをかくうま』や『東京都同情塔』は傑作だと思うが、九段が好きだというポール・オースターについては、それほど読んでいないが、村上春樹の亜流みたいな通俗小説だと思っている。

 しかし、好きな作家だからその源流まで好きになる必要はないので、近代日本文学の源流だといって誰もが二葉亭四迷を好きである必要はないのと同じだ、と考えるに至った。

星新一『祖父・小金井良精の記』アマゾンレビュー

実はこの本は50年前の1974年に出て、すぐうちの父親だかが買ってきて家にずっとあった。もう両親ともとうに死んで今私が初めて読んだ。星新一ショートショートその他を面白いと思ったことはないが、これは立派な本で、これで何も賞をとらなかったのは不思議だ。嫉妬か。
小金井良精は東大の解剖学の教授で、森鴎外の妹婿であり、娘の夫が星一星新一の父である。1944年に87歳の長命を保って死去。何しろずっと日記があったのを星が発見して書いているから羨ましくさえある。若い頃の血尿は、結核であったことが没後判明する。人格者であったらしく、解剖学から発して人類学に手を伸ばし、日本人の祖先はアイヌではないかという説を立てた。そのためかアイヌの椎木という青年に頼られたりしたが、この話がそれだけで小説になるくらい面白い。あとは研究室の小使に対する親切な態度など。越後長岡の朝敵となった藩の出身で、最後のほうでは縁戚に当たる山本五十六に面会したりしている。

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