中丸美繪『タクトは踊るー風雲児・小澤征爾の生涯』アマゾンレビュー

あるつらさー3点

小澤の生涯といえば多くのクラシック好きはその概略を知っている。本書では「ボクの音楽武者修行」が直木賞候補になった作家がゴーストだったと知ることができた。メイスルズ兄弟による40年前のドキュメンタリーも言及されるが、そこで目立っていた十束尚宏と小澤の関係が、よく分からなかった。もともと知的な人でないことはうかがえたが、ドイツ語もイタリア語もできずにウィーン国立歌劇場音楽監督になったというのは驚きでしかない。天皇や皇后に直訴したり、ソニートヨタからカネが出てといった話は、斎藤秀雄の伝記のような音楽家に徹した人の伝記に比べて、鼻白むものを感じさせてつらい。しかし著者は中丸三千繪の姉でもあり、小澤については書かざるを得なかっただろう、という意味でもつらい。セレブになどなりたくないものだと思う。

小谷野敦)   

新刊です

久しぶりの新書です。

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著書訂正

・44P「番作が犬の与四郎の首を切り落とす」→「信乃が切り落とす」

*52P「堅苦しく律儀な貢献時代」→「封建時代」

*56P「土遁の術」→「火遁の術」

*65p「マクベス」→「ハムレット

・113P、「京都からの帰路、犬江親兵衛が海龍王修羅五郎に襲われる」→「往路」

岡潔『春宵十話』アマゾンレビュー

まるで非論理的 2点

著者は数学のほうで業績をあげた人だが変人でもあり、戦後はおかしな宗教に入ったり日本民族論をやったりして、小林秀雄との対談が評判がよく、あれこれ随筆を書いて、これは毎日出版文化賞をとっている。一時忘れられていたが、ドラマ化されたせいか最近復活している。だが読んでみてその非論理的なのに呆れた。「ただちに」が自分の世代と今の世代でどう違うか比べるために、友人と連歌をやり、ストップウォッチで脇句をつけるのが十秒だったので、学生たちに「ただちに」解けるはずの問題をやらせたら三日かかった、「二万七千分の一の智力」だというのである。冗談にしてもバカバカしすぎる。それより前は、漱石は最後の「明暗」が一番進んでいるが「それから」あたりが読んでいて楽しいとか意味不明なことを言っているし、言葉の定義がまるで分からない、禅問答である。数学というのはインスピレーションで解くものだから、こういう非論理的なことを言うような人が出るんだろうがあまり持ち上げてはいけないと思った。

小谷野敦

桑原武夫『『宮本武蔵』と日本人』アマゾンレビュー

桑原武夫鶴見俊輔らが「思想の科学」で1949年ころから15年くらいかけてやった協同研究。国民文学とも言われるが大衆小説であったり戦時中に天皇崇拝を広めたりした吉川英治の研究。最初の読者アンケートで、武蔵自身はあまり人気がないのを掘り下げていない。白井喬二とか中里介山とか大佛次郎とか出てくるが、今読むと海音寺とか司馬とかの話がないのが物足りない。武蔵は勧善懲悪じゃなくて単に人殺しではないかという視点がない。ユゴーバルザックディケンズに比べてと最後の鼎談で言っているがデュマがない。新書だからか、掘り下げが全体に足りない。また純文学の代表として志賀直哉が出てくるんだがそれが何かおかしい。夏目漱石谷崎潤一郎ではいかんのか。あとドナルド・キーンが武蔵の悪口を言ったというのを読みたいがどこにあるんだろう。
小谷野敦

「あっぶねえなあ!」

大学生の時、私が滝野川にある、東大生が教えるというふれこみの家庭塾で教えていたことは前にも触れたが、そういえば学年的には私の後輩の男のことを思い出した。文系か理系かも忘れたが、ひどく軽薄な感じの、お笑い芸人みたいな顔をした男で、授業のあとでくだけた席になって、ちょっと下がかった話題になると、目を丸くして「あっぶねえなあ!」と叫ぶのであった。私をその塾に紹介してくれた津金沢は、はじめはこいつのことを、何だかバカにされてるような気がする、と言っていたのが、二ヶ月ほどすると、え、いいやつじゃない、と言うようになった。私はついに彼にはなじめなかったが、とにかく男のホモソーシャルな空気というのは、私には苦手だった。

小谷野敦

七人のサムライ

私が行っていた海城高校ではいじめが横行していたことは「ミゼラブルハイスクール一九七八」に書いたが、二年生の時の副担任だったか、小太りの数学教師が時々朝の時間にやってきて何か話していった。この人はときどき、一年か二年前の生徒で、仲のいい七人組のことを「七人のサムライ」と呼んでかわいがっていて、二、三度その話をニコニコしながら「あっちから例の七人のサムライがやってきて」などと話していたのだが、うちのクラスにはそんな明朗な雰囲気はなかったから、生徒たちは一様に白けていた。あとで考えたのだが、もしかして私のいたクラスだけが特別陰湿だったのか、ほかのクラスはそうでもなかったのか、同窓会誌に載っている同窓会の様子など見ると、ほかはもうちょっと明朗だったような気もする。

小谷野敦

厄介な校閲

私の「悲望」だったか、大学院時代を描いた小説に、「後輩の男が『よく(酒も飲まずに)生きてられるね』と言った」というような箇所があった。編集者がここを「られますね」と直したので、いや、そういう言葉遣いを後輩でもするやつだったんですよ、と言ったら、「後輩だがタメ語を使う生意気なやつで」とか書き加えさせられて、読んだ人が「小谷野は生意気な後輩にむかついている」ととった人がいたらしいが、いやそれはちょっとはあるが元は単にあったことを事実として書いたんだ、と思ったことがある。