円地文子と三島由紀夫

 三島由紀夫が続きますが別に好きなわけではなく、嫌いです。

 佐伯彰一先生の『回想(メモワール)』に、三島と親しかった円地文子が、三島が死んだあと、三島が生きて牢獄に入っている小説を書いたとあったので、『円地文子辞典』の三島の項を見たら書いてなかった。

 昨日ある人に教えられて、それが「冬の旅 死者との対話」という、『新潮』1971年11月号に載った短編で、『花喰い姥』に収められ、『円地文子全集 第五巻』に入っているものであることが分かった。

 牢獄というのは佐伯先生の勘違いで、円地らしき老女作家が自宅書庫にいると三島の幽霊に話しかけられて、そのあと新幹線で京都へ行く途中も三島の幽霊が出るという筋で、三島の名は出てこないが「M氏」とあり、自衛隊へ乱入して切腹し、生首が週刊誌に載っていたとあるから間違いあるまい。「聖セバスチャン」の話や歌舞伎の残酷趣味の話をしていた。もっとも、三島の亡霊に怯えていた川端康成はこの短編を読んでさぞ怖かっただろう。

(小谷野敦)

林芙美子と三島由紀夫

 川端伝に書いておいて典拠を書かなかったのですが、三島由紀夫が林芙美子の葬儀に行く前に「あんな馬鹿な女の葬儀に出なくちゃいけないなんて、いまいましいよ」と言ったのは、福島次郎『三島由紀夫 剣と寒紅』86pにあります。

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書誌『三島由紀夫 剣と寒紅』第一章・第二章『文學界』1998年4月号

  第三章・第四章書き下ろしで、文藝春秋から98年3月に刊行。

 のち遺族から三島の書簡の無断引用を著作権侵害として提訴され、絶版となる。

「川島なお美」みたいな、ひらがな二つに「子」以外の漢字一つという女性名が最近はやっている気がする

*隠岐さや香

*蝉谷めぐ実

*田中みな実

*鴻野わか菜

*(遠藤野ゆり)

 

 

橋詰かすみ『ジュネーヴ共和国騒乱とルソー』アマゾンレビュー

 ルソーについては、フランスで『ルソー関係書簡全集』が50巻も出ていて、これを通読しないとちゃんと研究したとは言えないので素人は口を出しにくいのだが、伝記的に分からないところは、フランスで逮捕令が出て郷里のジュネーヴへ逃れたのに、そこでさんざん迫害され、ついには投石されて英国へ逃げたのはなぜかという点である。著者はこの点を追究し、ジュネーヴにもとからあった、シトワイヤンとブルジョワという上層階級と、ナティフ、アビタンという下層階級の対立を含む政治的対立に焦点を当てる(ただし時々「貴族」という言葉が出てくるがこれが何に当たるのかいまだに分からない)。実際ジュネーブでの内戦に、同じ家から父と息子が別々の党派に属して出陣していくのにルソーが出くわしたという記述もある。スタロバンスキー以後、ルソーの内面に病的なものを見ようとする研究が日本では多いようなのと、『社会契約論』について深読みをする傾向があるが、著者はそのどちらにも偏らず、歴史実証的にジュネーヴとルソーの関係を追っているので大変分かりやすい。もっともジュネーヴという都市は、迫害の時も革命における称揚の時も、単にフランスに追従しているだけなので、情けない話ではある。あとヴォルテールの執拗なルソー攻撃も浮かび上がらせている。今年の収穫といえるだろう。
 ただ著者の紹介文が、現職と博士号取得だけというのはひっかかる。生年と履歴くらい書いてもいいのではないか。

(小谷野敦)

日本語のできない日本文化研究者

先日、『日本のエロティック文化』というような本をフランスで書いているアニエス・ジアールというフランス人から、私にインタビューをしたいという話が、京都日仏会館を通じてあったのだが、聞いてみたらこの人は日本語ができないという。それで、なんで私のことを知っているのかというと、噂を聞いたというのである。

日本語ができないで日本に関する本を書くとか、それをまた日本の組織が援助するとかいうのは、逆だったらとうていありえない話で、つまりフランス語の出来ない日本人がフランスへ行って、フランスの公的機関から援助を受けてフランス研究をするなどということは絶対にありえない。それがありえてしまうところが、日本人の情けない植民地根性というか東洋人根性であろうと私は思ったのである。

それで、とてもまともなプロジェクトとは思えないから断る、と返事をしたら、ジアール当人から英語のメールが来て、自分は日本語の勉強中である(当たり前である)とか、私は船曳建夫、篠山紀信、坂東弥十郎にインタビューしていて、彼らはまた私に会いたがっている(そういう名前を出すと私が恐れ入るとでも思っているのか)、あなたの研究はたいへん興味深く(日本語ができないのに何で分かるのであろうか)、しかし日本以外では知られていないのは残念である(それならあなたじゃなくて日本語のできる人に英訳してもらいたいものである)、などとあった。

そこで私は、いったい何を聞きたいのか、と返事をした。すると、少し考える、とメールがあって、一日ほどしてずらずらと質問を並べたメールをよこしたのだが、これがみごとに(予想通り)、前近代幻想派の影響丸出しのもので、しかもどうやらこの女、仏訳もある『源氏物語』すら読んでいないらしく、西鶴がどうとか竹取物語がどうとか見当違いなことばかり言っているのである。だから私は逐一、あなたは間違った研究者から影響を受けましたね、と返事をしたのであった。

(2010年のミクシィ日記より)

大人になったコナンとラナ

ラナ「いけないわ、コナン、結婚するまでこんなことしちゃダメ」
コナン「そんなことないよ、ラナ、みんな結婚前からしてるんだよ」
ラナ「してないわよ。ダイス船長とモンスリーさんが、してた?」
コナン「いや、してないように見えるけど、それは子供向けアニメだから…」
ラナ「何をわけのわからないことを言ってるの」

(結婚後)
ラナ「いけないわコナン、こんなの、変態的行為よ」
コナン「いや、みんなしてるんだってば」
ラナ「私が読んだ本にもそんなことは書いてなかったし、大人の人から聞いたこともないわ」
コナン「いやあ、ラナ、そりゃ君のような女の子が見ないものに書いてあるんだよ」
ラナ「コナン、あなた、そんな、汚らわしい本なんか、見ているの?」
コナン「いや、汚らわしいって…」
ラナ「コナンがそんな人だとは思わなかったわ。どうしよう」(後ろを向いて両手で顔を覆って泣き始める)
コナン「困ったなあ…」
(2009年のミクシィ日記より)
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「神経症は君だけじゃない」に行ったこと

 大阪大学に勤めていたころ、不安神経症になった。夏休みに実家へ帰っていたがよくならないので、東大病院にかかり、抗不安剤と抗うつ剤を処方されて、飲んでいたらよくなっていったのだが、半年ほどして、いつまでも薬を飲んでいてはいけないと思って自己判断で薬をやめたら大変なことになり、四月に大阪へ帰ってまた薬を飲みながら療養していた。96年のことだ。

 それで大学構内などに貼ってあった「神経症は君だけじゃない」というチラシを見て、一度だけ大坂城の近くにある「メンタルヘルス友の会」の会場へ行ったのだが、それは貸しビルの一室で、主催者側の男性三人、女性一人くらいがいて、来訪者は五、六人だったか。時間がきて主催者の講演者が話を始めたが、それは、親鸞聖人の教えを説くもので、あなたの病気は三世の理というものです、というものだったから、私はうすうす予想していたが、ああ、宗教か、と思った。

 終わって、こういう会だとは思わなかった、と怒り出した人がいた。まあ当然だ。ところで主催舎側にいる女性は、ちょっと美人だったし、言うこともいい人っぽかった。怒っている人が、おそらくその女性を指して「まあいい人みたいだし」と言ったのを聞いて、私は内心で、ふっと思った。こういうのを抑えるためにちょっと美人目の女を置いておくんだよね、と思ったからである。

 私はその頃には、薬を飲んで結構回復していたのだが、特に怒ることもなく、ただ黙って帰宅した。

 のちにそれが「浄土真宗親鸞会系の新興宗教・真流一の会」の勧誘活動であることが分かった。のち見ていると、新興宗教にはどういうわけか美人が一人は混じっているのだが、考えてみるとオウム真理教には美人はいなかった気がする。なんでだろう。

 

依田学海の謎

 私が27歳の1990年6月、最初の著書『八犬伝綺想』を出す前に、スミエ・ジョーンズに呼ばれて、池袋辺の居酒屋で渡辺憲司(立教大)、小森陽一(成城大)らと会ったのは前にも書いた。

 その時、私が『八犬伝』についての本を出すと言うと、渡辺憲司が、今度岩波から『学海日録』が出る、ということを熱心に言うのである。依田学海(1834-1909)は明治の漢詩人で、歌舞伎の脚本も書き、鴎外や露伴とも関係があるらしく、馬琴についても議論があるというが、私は当時はよく知らなかった。そしてそれから92年まで、全6巻別巻1の『学海日録』は出た。しかし世間は依田学海のことなど知らないから、大して話題にもならなかった。

 白石良夫の『最後の江戸留守居役』(ちくま新書、1996)は、維新前の、佐倉藩の江戸留守居役だった時の学海のことを書いているので、読んでみた。著者は、明治以後の漢詩人や劇作家としての学海はよく知られているが、幕末期のことは知られていないので書いた、としていたが、「よく知られている」のところに私は疑問を抱いた。そして読んでいくと、どうも幕末のめまぐるしい政治情勢の記述が主で、当然ながら学海が何か特段な働きをしているわけではない。

 調べてみると、そもそも依田学海については、吉川弘文館の人物叢書にも、ミネルヴァ書房の日本評伝選にも、どこかの新書にも選書にも、概説書がない。永井荷風の『断腸亭日乗』は、普通は荷風の小説をいくつか読んでから読み始めるものだろうが、学海については、どういうわけか、概説書すらない状態で、いきなり大部の『学海日録』が出て、関係者だけがすごいすごいと言っているのが現状なのである。

 どうもここのところは、おかしいとしか言いようがない。

(小谷野敦)