岸田理生の恐怖

 岸田理生という、2003年に57歳で死んだ女性の劇作家がいる。この時、岸田の思い出を書いた人がいて、それは男の劇作家か俳優だったと思うのだが、十数年前に演劇フェスティバルみたいなのがあり、終わってから、みなで雑魚寝しようという提案が出たら、岸田理生が「川村ツヨシもいるし」と言って怖がって、「ツヨシじゃなくてタケシ」と言ったとかいう話で、そのエッセイの書き手は、岸田のことを、やっぱりこういうところで普通じゃないところがあるんだなあと書いていた。

 いや、雑魚寝するといったら女の人は普通怖がるだろうと当時私は思ったので、不思議なことを書く人だと思ったのだが、考えたら、こういうところは普通の女の人なんだなあ、と書くと何だか変なような気がして逆に書いてしまったのだろう。

 そして20年前の演劇界というのは、それで岸田理生が強姦されてもおかしくない雰囲気があったような気はするのである。

顔と声

こないだNHKで少年ドラマの「蜃気楼博士」を復活放送していたので観たのだが、これは1978年の1月、私が中学三年の時だ。主人公は中学生の男子で、それとむやみと仲のいい女子がいて、あれじゃつきあってるみたいだと思った。河合雅代という多分名古屋の子役で、メガネをかけていて不美人なんではじめ驚いたが、ずっと観ているとだんだんよく思えてきたのは、背がすらりとして声がいいからであったらしい。

 私は割と声に引きずられることがあり、六代目中村歌右衛門なんか、声が悪いから全然いい女方だとは思えなかったのも、「ウルトラセブン」のアンヌ隊員が美しいとも思わなかったのも、悪声だったからであろう。(この二人はタバコのせいもあり)

赤い孤独者

高校のころ、私には親友が一人いた。中学から海城にいたOで、文学の話などをよくしていたが、私が好きだった大江健三郎などは読まなかった。ある時ふと私が、椎名麟三の「赤い孤独者」ってのがあるな、と特に意味もなく言ったら、彼が「あ、おれ、赤いとかそういうマルクス主義のは読まないんだ」と言ったから、ちょっとびっくりした。私も別にマルクス主義者だったわけではないが、「赤い」とあるから読まないというほどの拒否意識はまるでなかった。第一、「赤い」だからマルクス主義だという連想は私にはまるでなかった。彼はもしかして実家で、赤に近づいたりしちゃダメだぞと言われたりしていたのだろうか。

インベカヲリ★「私の顔は誰も知らない」書評「週刊朝日」7月2日号

(雑誌では小島一朗の名前が削除されている)

 インベカヲリ★は、写真家である。募集に応じて来た女性たちの、ちょっと不気味な感じの半ヌード的な写真を撮っており、『やっぱ月帰るわ、私』や『理想の猫じゃない』といった写真集を出し、木村伊兵衛賞候補になり、ニコンサロンで伊奈信男賞も受賞しているが、その一方人物ルポルタージュも執筆し、二〇一三年に私は共著『ノーモア立川明日香』の書評をしている。さらに昨年は、新幹線内で無差別殺人を行い無期懲役になった小島一朗に取材して『家族不適応殺』を上梓し、大宅壮一ノンフィクション賞の候補になった。(講談社ノンフィクション賞も候補になったが選考会は七月)写真が本業なのになぜこんなに文章がうまいんだろうと思ったら、子供時代から大量のノートに思うことを書きつけ続けてきたというから、なるほどと納得した。  
 この本は、『家族不適応殺』の関連書として出たものと同時に出たエッセイ集で、おおむね女性論である。冒頭のエッセイで、女性は周囲に合わせて擬態しているというこの本の主潮音ともなるエッセイが出てくる。
 私は大学院生のころ、東大の女子院生から、子供のころ作文を書く時は、どう書けば大人に受けるか、こういうところで泣かせるということを分かって書いていたと言われてちょっと驚いたもので、女の優等生ってすごいなあと思ったものだが、大人になってからもその能力は発揮されて、大学でも会社でも、筆記試験をやると、女のほうが、自分が書きたいことではなく相手が求めていることを察知して書くから、実は上位は女ば
かりで、そのため企業などでは男にゲタをはかせて採用していると聞いたことがある。さる医大で問題になったことだが、私はそれを聞いて、上の意向を察知してそれに迎合する人ばかりでは良くないから、そういう措置も必要なんじゃないかと思った。そうなると筆記試験で成績のいい女を落とすことに合理性があることになり、何がいいことなのか分からなくなる。  
 とはいえ、インベの考え方はフェミニズムに影響を受けつつ、正義に向かって突っ走るとか、最近ネット上でよくある、正義を吠えたてるようなこともなく、適当なところでストップして話を転換するような感じである。来世とか前世とかオカルト的なことも書いてあるのでちょっと心配になるが、これも擬態なんだろうか。                
 女性の写真を撮る時に、インベはさながらインタビューのように相手と話をする。そこから導かれた議論もあるが、男とも話さないといけないのではないか。インベはそれに対して、男は小島一朗を取材した、と言うが、殺人犯で男を代表させるのも困るので、今後は男の話も聞いてほしい。そういえばインベは西村賢太のファンだったが、存命中にそれを言えば西村に追いかけられかねないので黙っていたと、これは私が聞いた話だが、その判断が的確なのはいいとして、そういう要素もあって男とはあまり話ができないのかもしれない。  
 エッセイの中でも、被写体となった女性の話や、インベ自身が身の周りのものを売った話なども出てくるし、これまでキャリアの上で苦労した話も出てくるが、東京の女子高に通っていた話など、ちょっと不思議な立ち位置の人で、動画などで見る限りごく常識的で落ち着いた人に見えるが、中にはモンスターが住んでいると自分では言っている。         
 本書を読むと、チラリチラリとインベ自身の生い立ちが出てくる。都内の私立女子高では半分は埼玉県から来ていたとかあり、どこなんだろうと興味をかきたてられるし、両親はどんな人なんだろうと思うがそれも分からない。インベという日本最古の姓の一つを名乗っていることとあいまって、インベさんへの関心ばかりがふくれあがる、不思議な本である。

令和から共和へ 天皇制不要論 堀内哲編    アマゾンレビュー


排除と九条護憲派
星3つ 、2022/06/25
天皇制反対の論文集で、言っていることはほぼごもっともで、意外なのはあまりそうだとは思えなかった島田裕巳が参加していること。しかしアマゾンでこの本を見ると、出てくる略歴が編者の堀内哲ではなく清水雅彦になっているが、これはゴリゴリの九条護憲派である。前の本で堀内はスガ秀実に、九条護憲派天皇制を守っているんだと指摘されているが、それには本書でも答えていない。柄谷行人の「憲法の無意識」でもそのことは指摘されているが触れられていない。何より私がこの本に参加させられていないで排除されているのは、九条改憲派だからだろう。天皇制廃止の衣の下に九条護憲という鎧を隠していたんじゃダメなんじゃないか。座談会に参加している下平尾直なんか、私の本を出すと口約束したあとで逃亡してしまっている。彼らを信用できないゆえんである。

「文学の話をする」

カナダ留学中のことは「カナダ留学実記」に書いたが、アメリカ人教員のモストウとクレイマーは、激しく政治的な教員で、ひたすら日本のナショナリズム批判を繰り返して私と対立していったのだが、その初期のころ、鶴田欣也先生から「モストウと文学の話なんかはしないのかね」と言われて、ぎょっとしたことがある。「文学の話をする」というのが、いかにも大正時代の、ないし戦後の、非政治的な話のように言われたから、鶴田先生はモストウがどういう人だか知らないんだろうかと思ったほどであった。