『文学界』八月号の巻末随筆で、松浦寿輝が、カズオ・イシグロのインタビューに触れて、ブッカー賞について語っている。イシグロは、英国のブッカー賞は80年代に、ロングリスト、ついでショートリスト(最終候補)を公表することによって世間の文学好きの好奇心を巧みにかきたて、文学を盛り上げたという。
松浦は、日本では芥川賞がそれに成功しているが、谷崎賞や野間文芸賞はある時期から候補作を発表しなくなり、それもあって盛り上がりを欠くことになったという。谷崎賞と川端賞の候補作発表がなくなったのは、ともに金井美恵子の提言のせいだが、私も、候補作の発表がなくなったのは確かに松浦が言うような結果をもたらしたと思う。金井は、ベテラン作家が候補に挙げられて落とされるのは失礼だと、はじめは中上健次のことで、次には自分のことで言ったのだが、そこは松浦と二人で議論してくれればいい。
もっとも、最近の野間文芸賞の受賞作を見ていると、谷崎賞もいくらかそうだが、もう「純文学の終り」も近いという気がする。昨年の村田沙耶香はいいが、その前の十年くらい、とても一般読者に広く読まれるというような、かといって玄人が感心するというのでもない、いかにも人に読まれない純文学という作品に授与されてきた。谷崎賞はまだましだが、それでも往年の勢いはない。ところで、講談社出身の村上春樹はなんで野間賞をとっていないのだろう。まあかつての古井由吉のように辞退しているということもあるかもしれないが・・・。
しかし、言いたいことはある。たとえばブッカー賞は、毎年選考委員を総入れ替えしている。作家だけではなく、文藝評論家など幅広く選んでいる。それに対して、日本の文学賞の、選考委員が居座り続けるさまはどうであろうか。岡井隆と岡野弘彦のように、50年近く短歌の賞の選考委員をしていたのは論外に近いが、小説のほうでも、有力作家がいくつもの賞の選考委員を兼ねたり、十年以上勤め続けることが少なくない。日本で唯一、選考委員の入れ替えが多いのはSF大賞などSF協会の賞くらいだ。
あと言えば、ブッカー賞は長編に与えられる賞だが、私の見たところでは半分くらいが、日本でいえば直木賞というような中間小説的なものに与えられている。
あと気になったのが、イシグロがイアン・マキュアーンやマイケル・オンダーチエを差し置いてノーベル賞をとったと書いてあるが、オンダーチェはカナダの作家だし、イシグロは出生地主義によって日本の作家として村上春樹を押しのけて取ったというのが正しいだろう。
(小谷野敦)