米沢穂信「黒牢城」の感想

三年前の直木賞受賞作だが、図書館で待ちが多くて、文庫化されるのを機に早めに予約を入れて、前半を読むことができた。荒木村重有岡城に籠って信長に反逆し、使者として来た黒田官兵衛を地下牢に閉じ込めた史実を背景に、歴史小説と見せかけた推理小説になっていて、以前読んだ木下昌輝の『まむし三代記』もそのような作品だった。世間には、歴史小説派と推理小説派がいて、はっきりではないがかすかに対立している。私はむしろ歴史小説派なので、こういうのを読んでいると、歴史小説推理小説に浸食され、滅びつつあるような気がする。実際、歴史小説は面白いネタがほぼ描き尽くされており、一般読者の推理小説好きはますます盛んだからである。

 しかしまあ、それがけしからんとか嘆かわしいとかいうほどでもなく、私は今では作りものの小説には年齢のせいで飽きつつある。

音楽には物語がある(67)和声と旋律  「中央公論」7月号

 18世紀中ごろのフランスで「ブフォン論争」という音楽論争があった。1752年に、イタリアの喜歌劇を上演するバンビーニ一座がパリに来て、幕間劇としてペルゴレージの「奥様女中」を上演して好評を得たところから、イタリア音楽のほうがフランス音楽より良いとする「王妃方」と、フランス音楽を擁護する「王方」が論争を行ったのである。

 この時、フランス音楽を擁護したのは、当時のフランス音楽の重鎮だったジャン=フィリップ・ラモーで、イタリア音楽派として論戦を行ったのはドイツ人の啓蒙思想家メルキオール・グリム、『人間不平等起源論』などの評論のほか、「村の占い師」のようなオペラの作者としても名をあげていたジャン=ジャック・ルソー、そして本来はラモーの崇拝者だったはずの数学者で『百科全書』の編纂者だったダランベールらである。

 この論争は、単に音楽に関するものであるだけではなく、貴族の鑑賞物だった当時のオペラに対し、民衆の娯楽としてのイタリアのブッファ(喜劇オペラ)を打ち立てての階級闘争の意味もあり、そのためブフォン論争と呼ばれた。

 ルソーはこれより前の無名時代に、ヴェネツィア公使の秘書としてヴェネツィアに滞在し、イタリア音楽が好きになっていたということがあったが、ラモーには、自分が作った音楽を見てもらったが、冷たいあしらいを受けたという過去もあった。

 しかし、ルソーとラモーの論争を見ると、ラモーが和声の重要性を説くのに対し、ルソーは旋律の統一性を重んじている、それが気になった。

 私は大学院に入った当時、オペラと歌舞伎の比較というのを研究題目に掲げていたため、和声の勉強をしなければならないと『和声学』という本を買ってきて読み始めたが、途中で、これは子供のころからピアノをやっているとかそういう人でないと理解不能だ、と投げ出してしまったことがある。それから40年くらいたつが、私はいつも、音楽の専門家が何かというと和声の話をするのを不思議な気持ちで聞いてきた。最近はYouTubeで音楽の解説をしてくれる人がいて、実際に曲を流しながらの分析なので、難しくて分からないながらも面白い。しかし、ここでも二言目には和声の話であって、どうすればチャイコフスキードヴォルザークのような魅力的なメロディーが作れるのかという話はしてくれない。もちろん、そういう古典的な作曲家でない、現代の曲についてもしてくれない。だがそれは仕方がないので、どうすれば優れた旋律が作れるかということは理論化できないから、ここの和声はどうこう、という話しかできないのである。

 18世紀当時は、またポリフォニー音楽というものが一般的ではなく、複旋律などもあったから、ルソーは、旋律の統一といったのは、その後西洋音楽で一般的になるポリフォニーを主張したわけではなさそうだが、それも20世紀はじめの前衛音楽では再度非ポリフォニーの音楽が出てきたりする。

 この、優れたメロディーの作り方は教えられないという現象は、小説の書き方の本についても同じことが起きていて、小説の書き方の本には、文章の技術とか、語り手の構造とか、視点を定めるとかいう技術的なことは書いてあるが、どうすれば魅力的な筋立てが作れるかということは書いてないことが多い。最近は確かに、ストーリー作りのヒントも書いてあることもあるが、結局面白い筋や素晴らしいメロディーを作るのは天与の才能であって理論ではないということか。

小谷野敦

「女工哀史」をめぐる二冊の本

 湯浅規子の「焼き芋とドーナツ」という本をちらちら読んでいたら、これが、高井としをの『わたしの「女工哀史」』と、サンドラ・シャールの『『女工哀史』を再考する』という二冊の本をめぐって書かれた本であることが分かったので、この二冊を図書館で借りてきた。

 高井としをは、『女工哀史』を上梓してすぐ死んでしまった細井和喜蔵の内縁の妻で、その後労働運動に挺身し、戦後になって自伝的回想を出したうち、まとまっているのが『わたしの「女工哀史」』で、1980年に刊行され、2015年に岩波文庫に入った。

 これを半分くらい読んだ。高井というのは旧姓ではなく、旧姓は堀で、高井は細井が死んだあと再婚した高井信太郎の姓で、高井も戦争中に病死している。

 とにかくやたら気が強い女なのには驚かされるのだが、どうも読んでいて一抹の違和感がある。細井が死んだあと、新聞に「細井和喜蔵未亡人ご乱行」という記事が出て、売れていた『女工哀史』の印税がとしをに入らなくなり、藤森成吉らが作った「遺族会」が管理することになった、とあったが、巻末の斎藤美奈子の解説によると、藤森はとしをが自伝的記述を出した時に存命で、反論して、としをが『女工哀史』の印税を湯水のように使ってしまい、労働運動に用いようとしないので遺族会を作ったと言ったという。斎藤はこれに反論して、印税は当然としをがもらうべきものだ、と書いているが、法的にどうなのかはおいておくとして「湯水のように印税を使っていた」のは本当なのか、それが気になる。というのは高井としをという人は、頭は切れそうだが、何か危なっかしいところがあるからで、「ご乱行」の事実があったのか、は別問題として調べてしかるべきだろうと思った。

 シャールはフランス人らしく京都大学で研究し、同書は自分で日本語で書いたらしく、和辻哲郎文化賞を受賞している。生年は不明だが、2020年にストラスブール大学の准教授だから、1970年代の生まれだろう。和辻哲郎文化賞というのは、梅原猛山折哲雄が作った保守的な賞だから、受賞を聞いた時、おや?と思ったのだが、調べてみて分かった。これは『女工哀史』的な、マルクス主義的に女工はひたすら悲惨だったという言説に対するアンチテーゼ本なのである。だがそれは別に今初めて書かれたわけではなく、山本茂美のノンフィクションで映画化もされた「あ丶野麦峠」(1968)にすでに、貧しい農家の実家にいるより、製糸工場のほうが豊かな生活ができた、と書かれているのである。シャールも別に山本茂美を無視しているのではなく、さらに精密に、オーラルヒストリーとかライフヒストリーとかいった言葉を用いつつ細かに工女の生活を調べている。推薦文を書いているのが佐伯順子だったのは、どういう因縁かと思ったが、どうやらこの本は、マルクス主義だけがものの見方ではないぞ、という本として「和辻哲郎文化賞」に選ばれたらしく、それはちょっと嫌な気分にさせられたが、本そのものに悪いところがあるわけではない。私はマルクス主義者ではないが、そういう「構図」になるのは嫌である。

小谷野敦

プロレスの味方

大学一年の時のことだ。同じクラスの男が数人で雑談していた。愛知県から一浪で入ったNという男が、プロレスの話を始めた。そこへ、津金沢というやはり一浪の東京の高校から入ってきた男が、「プロレスなんて、八百長でしょ」と言った。するとNは、「まだこんなこと言ってるやつがいる!」と叫んだ。村松友視の『私、プロレスの味方です』が出たのが二年前で、プロレスは見世物であってそれを踏まえて楽しむべきものだというその趣旨は、少しずつ浸透していたし、私も知ってはいたが、津金沢は、そう鈍なほうではなかったがちょっとそのへんの世間知が足りなくて、その時Nからかなりバカにされて、腐っていた。

 津金沢は、本当は文1か文2に行きたかったが自信がなくて文3を受けたというような男だったが、それから在学中、プロレスを観たり麻雀を覚えたり、懸命に「普通の大学生」になろうと努力していた。その根底にあったのはNの「まだこんなこと・・・」とかそういう言葉だったのだろう。

小説内小説

「劇中劇」のように、小説の中に小説があるということがある。推理小説などでもあるが、それはまあ仕掛けだからいいとして、優れた小説が入っているという想定で小説が入っていると、これはなかなか厄介だ。

 松本清張の「天才画の女」は、天才画家が現れたという小説だが、これをNHKでは竹下景子主演でドラマ化した。すると、「天才による絵」の現物を見せなければならなくなる。だがこれについては、NHKはいかにも天才による絵風のものを作るのに成功した。まあ、絵に詳しい人が見たらどうだか知らないが。

 あとは優れた音楽が演奏されることがある。やはり清張の「砂の器」では天才作曲家・和賀英了の曲という体でピアノ協奏曲「宿命」が流れるのが、野村芳太郎の映画で有名である。この曲は菅野光亮という作曲家が作り、世間では評価が高いが、私には凡作としか思えない。この小説自体、ハンセン病の親子の放浪の場面のおかげで名作扱いされているが、原作はそう大したものではないし殺人の説得力は弱い。

 丸谷才一の『輝く日の宮』の冒頭には、主人公である国文学者の女性が高校生の時に書いたという想定の、泉鏡花風の小説が置いてある。これの効果もあって同作は泉鏡花賞を受賞した。割とこの「鏡花風小説」は評判が良かったのだが、私には鏡花とは似ても似つかない失敗作に思えた。

 あと筒井康隆の『文学部唯野教授』にも、芥兀賞をとる唯野仁の小説の一節が出てくる。編集者は読み上げて感嘆している。いかにも純文学短編の書き出しらしく書いてはあるが、編集者が感嘆するレベルでは全然ない。かくのごとく、小説内で優れた小説を書くのは難しいことである。

小谷野敦

井上靖『北の海』を読んで驚く

『北の海』は、井上靖の自伝小説で、「しろばんば」「夏草冬濤」に続く、沼津の中学校を出て浪人していた半年の、柔道三昧の日々を描いている。翌年、四高の柔道部に入るよう誘われて金沢の四高を訪ねるのが表題の意味で、最後は神戸から両親のいる台湾へ向けての船に乗る。実に不思議な小説で、主人公つまり井上靖は「伊上洪作」なのだが、他の男たちはみな姓で「遠山」とか「木部」とか呼ばれているのに、洪作だけ「洪作」と呼ばれて特別扱いされている。さらに洪作を好きだというれい子もただ「れい子」と呼ばれている。

 『暗夜行路』について紅野敏郎が「時任謙作一人まかり通る小説」と評したが、これはまったく「伊上洪作ひとりまかり通る」小説で、しかも『暗夜行路』は後半はフィクションだがこちらは自伝的小説だ。洪作は、呆れるほどに誰からも好かれる。中年者からも同年輩の青年でも、男でも女でも、洪作を本気で嫌っている者はいないし、いじめる者もいない。よほど「愛されキャラ」だったのである。そしてそれを井上靖自身が、不思議なことだと思っていない。不思議といえば最後のほうで、台湾の母から来た手紙について、「まだ二、三通開封していない手紙がある」と書いてあるが、手紙というのは届いたらすぐ開封するものだろうに、不思議なことをする。

 私は『あすなろ物語』を読んだ時、なんだこのもて男小説は、と呆れたものだが、井上靖は、作家デビューしてからのすごい速度での文壇での出世も、要するに人々からよほど好かれたので、しかも川端康成のように、孤児として育ったから人と争えない性格になった、というような自己反省もない。川端は努力して「文壇の総理大臣」だったが、そのあと井上は、なるべくして「文壇の総理大臣」になっていた。普通に人はこの程度に人から好かれるものだろうと思って一生生きた人のような気がする。とてもこの人の真似は宮本輝などにはできないだろう、とつくづく感じ入るほかはない。

(追記)「北の海」の最後に、佐藤という医師が神戸で洪作を出迎えて、両親に頼まれて船の旅を同行するのだが、洪作が山の上で寝てしまったといった話を聞いて、「なるほど、噂に聞いた通りのいい坊ちゃんだ」と言い、洪作はむっとするのだが、これがまさに洪作の天真爛漫さと愛されキャラぶりを示唆している。だから著者も自覚はしているのだ。

 のち1988年に『孔子』が売れた時、『新潮』の千号記念号で大江、江藤、石原、開高の座談会があり、ああいうのは通俗じゃないかという話になり、井上靖にもいい純文学はあるというところから、石原が、直接井上にそう言ったら「ああいうのは売れません」と言ったという。このあたりが井上靖の天真爛漫たるところではないか。

小谷野敦