三好徹の不遇と謎

直木賞作家の三好徹(1931-2021)は、長命を保ったが、直木賞をとったあと、文学賞には恵まれなかった。特にひどかったのが、奥田英朗が『オリンピックの身代金』で吉川英治文学賞をとったことで、このタイトルの小説はすでに三好が書いていたし、中身も類似していたのだ。さらに三好自身は、直木賞作家の経歴として、吉川英治文学賞をとってもおかしくないのに、90歳まで生きてとれなかった。不遇だと思う。

 なぜなのか? 何か三好徹は文壇で孤立でもしていたのか。三好には三冊のエッセイ集があるが、その一つ『旅の夢 異国の空』(創樹社)を読んだら、森敦と親しかったことが書いてあった。さらに、日本ペンクラブ会長だった井上靖の側近の理事だったことも書いてある。1984年、日本ペンクラブが「核状況下の文学」をテーマに大会を開いた時、理事の江藤淳が、政治的活動をしないというペン憲章に違反していると言って反対した。これは江藤が正しいが、その後もペンクラブは盛んに政治活動をする団体になっている。その時、三好が「わけを聞こうじゃないか」と言ったと、江藤は書いている(「ペンの政治学」『批評と私』新潮社)。これに対して三好は、そういう言い方はしていない、カセットテープに記録が残っている、と抗議した。すると江藤は、文学者はカセットテープではなく記憶によって書くのだとひどいことを言ってそのままにした。前記の三好のエッセイ集にも、そのことが怒りをこめて書かれているが、詳しいことは別のエッセイ集『風の旅心の地図』(三一書房)に載っている「国際ペン大会始末記」に書いてある。江藤が、自分の反対を記録にとどめてほしいと言い、三好が司会の巌谷大四に「理由は?」と聞いてくれるよううながし、巌谷が聞いて江藤が答えると、三好は「政治的な行動かどうかは、これは解釈の問題です」と言ったという。それが江藤の文章では「おれたちは、政治的じゃないという解釈なんだけどな。まあ、政治的と思う人がいるんなら、仕方がないや。個人の自由だからな」とうそぶいたことになっている。

 『チェ・ゲバラ伝』など書いているので、政治的に左翼なのかと思ったら、松岡洋右も描いているし、板垣退助を描いた『孤雲去りて』では、岐阜で板垣が襲われた時、明治天皇が侍医を送ったことに板垣が感激したという話を別に何とも思わず紹介しているから、政治的にはなまくらな人ではないかと思う。あと多分現状では、1975年くらいまでの年譜しかないのではないかと思う。

(付記)三好は、1963年に刊行した『乾いた季節』が、黒澤明の映画「天国と地獄」の盗作ではないかと言われ、東宝に対して名誉毀損の訴えを起こしているが、最終的に和解し、『乾いた季節』は封印された(栗原裕一郎『<盗作>の文学史』に詳しい)。特急から身代金を投げるというアイディアが類似していたという。なお同作は今では国会図書館デジタルで読める。

 

 

 

 

 

 

 

小谷野敦

朗読の意味

 自伝『あっちゃん』に、小学三年生の時に担任の女性教員が『春駒のうた』という児童文学を少しずつ朗読してくれて、生徒らが聞き入っていたが、私はあまり関心がなかったということを書いたが、私も小学校へ入る前は母の読み聞かせを聞いたりしていたが、それからあとは、何でわざわざ他人の朗読なんか聞かにゃならんのかと思っている。自分で読んだほうが早いではないか。

 私が若い頃「新潮カセットブック」とかいうので、日本近代の有名文学作品を有名俳優が朗読するみたいのが出て、私も興味本位で何か買ったが、すぐ飽きて売ってしまい、以後はそういう類は聴いたこともないが、世間にはオーディブルとかいってそういうのを聴く人がいるようだ。何か頭を使わない手仕事をしながら聴くというのはかろうじて理解できるが、とにかくコスパが悪くて時間がかかるから、自分で読むほうがずっといい。まあ、目が弱った人にはいいのかとも思うが、そうでない人の場合、あまり理解できない。

小谷野敦

疲れちゃった

 福田和也江藤淳に、小林秀雄の『本居宣長』について、なぜ昔のようなクリスプさがなくなったんですかね、と訊いたことがあるという。江藤は困惑しつつ、「疲れたんだね、疲れちゃったんですよ」と答えたというが、単に「年をとった」「老いた」ということで、当時60近かった江藤はその言葉を使いたくなかったんだろうが、老いた師匠にそんなことを訊く福田も気の利かんやつだなあ。

米沢穂信「黒牢城」の感想

三年前の直木賞受賞作だが、図書館で待ちが多くて、文庫化されるのを機に早めに予約を入れて、前半を読むことができた。荒木村重有岡城に籠って信長に反逆し、使者として来た黒田官兵衛を地下牢に閉じ込めた史実を背景に、歴史小説と見せかけた推理小説になっていて、以前読んだ木下昌輝の『まむし三代記』もそのような作品だった。世間には、歴史小説派と推理小説派がいて、はっきりではないがかすかに対立している。私はむしろ歴史小説派なので、こういうのを読んでいると、歴史小説推理小説に浸食され、滅びつつあるような気がする。実際、歴史小説は面白いネタがほぼ描き尽くされており、一般読者の推理小説好きはますます盛んだからである。

 しかしまあ、それがけしからんとか嘆かわしいとかいうほどでもなく、私は今では作りものの小説には年齢のせいで飽きつつある。

音楽には物語がある(67)和声と旋律  「中央公論」7月号

 18世紀中ごろのフランスで「ブフォン論争」という音楽論争があった。1752年に、イタリアの喜歌劇を上演するバンビーニ一座がパリに来て、幕間劇としてペルゴレージの「奥様女中」を上演して好評を得たところから、イタリア音楽のほうがフランス音楽より良いとする「王妃方」と、フランス音楽を擁護する「王方」が論争を行ったのである。

 この時、フランス音楽を擁護したのは、当時のフランス音楽の重鎮だったジャン=フィリップ・ラモーで、イタリア音楽派として論戦を行ったのはドイツ人の啓蒙思想家メルキオール・グリム、『人間不平等起源論』などの評論のほか、「村の占い師」のようなオペラの作者としても名をあげていたジャン=ジャック・ルソー、そして本来はラモーの崇拝者だったはずの数学者で『百科全書』の編纂者だったダランベールらである。

 この論争は、単に音楽に関するものであるだけではなく、貴族の鑑賞物だった当時のオペラに対し、民衆の娯楽としてのイタリアのブッファ(喜劇オペラ)を打ち立てての階級闘争の意味もあり、そのためブフォン論争と呼ばれた。

 ルソーはこれより前の無名時代に、ヴェネツィア公使の秘書としてヴェネツィアに滞在し、イタリア音楽が好きになっていたということがあったが、ラモーには、自分が作った音楽を見てもらったが、冷たいあしらいを受けたという過去もあった。

 しかし、ルソーとラモーの論争を見ると、ラモーが和声の重要性を説くのに対し、ルソーは旋律の統一性を重んじている、それが気になった。

 私は大学院に入った当時、オペラと歌舞伎の比較というのを研究題目に掲げていたため、和声の勉強をしなければならないと『和声学』という本を買ってきて読み始めたが、途中で、これは子供のころからピアノをやっているとかそういう人でないと理解不能だ、と投げ出してしまったことがある。それから40年くらいたつが、私はいつも、音楽の専門家が何かというと和声の話をするのを不思議な気持ちで聞いてきた。最近はYouTubeで音楽の解説をしてくれる人がいて、実際に曲を流しながらの分析なので、難しくて分からないながらも面白い。しかし、ここでも二言目には和声の話であって、どうすればチャイコフスキードヴォルザークのような魅力的なメロディーが作れるのかという話はしてくれない。もちろん、そういう古典的な作曲家でない、現代の曲についてもしてくれない。だがそれは仕方がないので、どうすれば優れた旋律が作れるかということは理論化できないから、ここの和声はどうこう、という話しかできないのである。

 18世紀当時は、またポリフォニー音楽というものが一般的ではなく、複旋律などもあったから、ルソーは、旋律の統一といったのは、その後西洋音楽で一般的になるポリフォニーを主張したわけではなさそうだが、それも20世紀はじめの前衛音楽では再度非ポリフォニーの音楽が出てきたりする。

 この、優れたメロディーの作り方は教えられないという現象は、小説の書き方の本についても同じことが起きていて、小説の書き方の本には、文章の技術とか、語り手の構造とか、視点を定めるとかいう技術的なことは書いてあるが、どうすれば魅力的な筋立てが作れるかということは書いてないことが多い。最近は確かに、ストーリー作りのヒントも書いてあることもあるが、結局面白い筋や素晴らしいメロディーを作るのは天与の才能であって理論ではないということか。

小谷野敦

新刊です

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「あっちゃん ある幼年時代」(幻戯書房)小学校時代までの自伝

訂正

*イトーヨーカ堂イトーヨーカドー(本文と地図、数カ所)

*261p「ブラッシー」→「プラッシー」(最初だけ)

*262p「口から歯くそが出てくる」これは「臭い玉」という喉のところにできるものだそうである。

「女工哀史」をめぐる二冊の本

 湯浅規子の「焼き芋とドーナツ」という本をちらちら読んでいたら、これが、高井としをの『わたしの「女工哀史」』と、サンドラ・シャールの『『女工哀史』を再考する』という二冊の本をめぐって書かれた本であることが分かったので、この二冊を図書館で借りてきた。

 高井としをは、『女工哀史』を上梓してすぐ死んでしまった細井和喜蔵の内縁の妻で、その後労働運動に挺身し、戦後になって自伝的回想を出したうち、まとまっているのが『わたしの「女工哀史」』で、1980年に刊行され、2015年に岩波文庫に入った。

 これを半分くらい読んだ。高井というのは旧姓ではなく、旧姓は堀で、高井は細井が死んだあと再婚した高井信太郎の姓で、高井も戦争中に病死している。

 とにかくやたら気が強い女なのには驚かされるのだが、どうも読んでいて一抹の違和感がある。細井が死んだあと、新聞に「細井和喜蔵未亡人ご乱行」という記事が出て、売れていた『女工哀史』の印税がとしをに入らなくなり、藤森成吉らが作った「遺族会」が管理することになった、とあったが、巻末の斎藤美奈子の解説によると、藤森はとしをが自伝的記述を出した時に存命で、反論して、としをが『女工哀史』の印税を湯水のように使ってしまい、労働運動に用いようとしないので遺族会を作ったと言ったという。斎藤はこれに反論して、印税は当然としをがもらうべきものだ、と書いているが、法的にどうなのかはおいておくとして「湯水のように印税を使っていた」のは本当なのか、それが気になる。というのは高井としをという人は、頭は切れそうだが、何か危なっかしいところがあるからで、「ご乱行」の事実があったのか、は別問題として調べてしかるべきだろうと思った。

 シャールはフランス人らしく京都大学で研究し、同書は自分で日本語で書いたらしく、和辻哲郎文化賞を受賞している。生年は不明だが、2020年にストラスブール大学の准教授だから、1970年代の生まれだろう。和辻哲郎文化賞というのは、梅原猛山折哲雄が作った保守的な賞だから、受賞を聞いた時、おや?と思ったのだが、調べてみて分かった。これは『女工哀史』的な、マルクス主義的に女工はひたすら悲惨だったという言説に対するアンチテーゼ本なのである。だがそれは別に今初めて書かれたわけではなく、山本茂美のノンフィクションで映画化もされた「あ丶野麦峠」(1968)にすでに、貧しい農家の実家にいるより、製糸工場のほうが豊かな生活ができた、と書かれているのである。シャールも別に山本茂美を無視しているのではなく、さらに精密に、オーラルヒストリーとかライフヒストリーとかいった言葉を用いつつ細かに工女の生活を調べている。推薦文を書いているのが佐伯順子だったのは、どういう因縁かと思ったが、どうやらこの本は、マルクス主義だけがものの見方ではないぞ、という本として「和辻哲郎文化賞」に選ばれたらしく、それはちょっと嫌な気分にさせられたが、本そのものに悪いところがあるわけではない。私はマルクス主義者ではないが、そういう「構図」になるのは嫌である。

小谷野敦