もう40年以上前のこと、大江健三郎の『厳粛な綱渡り』に収められた「『分別ざかり』のイメージについて」という割と長いエッセイを読んだ。考えてみると大江の卒論は「サルトルの小説におけるイメージについて」なのだから、これはその一部なのだろう。以来、『分別ざかり』という小説はどこにあるのだろうと気にかかったが、当時サルトルを読む人などあまりおらず見つけられなかった。今回初めて、それが『自由への道』の第一部であることを知った。読んでみると、大江の初期の「見るまえに跳べ」とか「大人向け」とか『われらの時代』が、この作品のかなり大きな影響を受けていることが分かった。当時しかし批評家らは、大江がダメになったと盛んに言ったものだ。<br /> 大江は『個人的な体験』でこのダメな時期から抜け出すのだが、サルトルのほうは実にくだらない。34歳にもなって「青春」だと思っている哲学教師で小説も書くマチウが、恋人を妊娠させて、堕胎させるか結婚するかと思いまどうというまことに有閑プチブルの、勝手にしろ的な小説で、あほらしい。アンファン・ギャテーとでも題したらどうかねと思わせる。しかも出てくる青年(?)たちは、親がどこにいるのかまるで分からないに等しいというトレンディドラマみたいな小説。ボーヴォワールの『娘時代』『女ざかり』などの自伝のほうがよほど面白い。<br /> かなり詳細な海老坂武の解説が、これはダメな小説だよなあと思いつつ書いているのが分かるのも面白い。海老坂は妊娠中絶を殺人だと思っていないらしい。海老坂がなんで『シングルライフ』なんて本を書いたのかも、よく分かる。<br /> サルトルは作家としても哲学者としても三流で、何かの間違いで持ち上げられていた人だから、これは一流の作家大江健三郎に影響を与えた三文作家の小説として資料的価値はある。<br />
