中上健次が、谷崎潤一郎をすごく気にしていたことは知られている。「物語の豚」などと罵りつつ、崇敬していたというに近い。それが一番如実に出たのは、1988年の江藤淳との対談「文学の現在-1-今、言葉は生きているか」『文藝』だろう。これは赤坂の菊亭という料亭で行われているが、私はそんな高級料亭、行ったことがない。
「「吉野葛」からあとの谷崎がすごいんですから」と言い、「僕だって谷崎くらいには」と口にして、江藤が「へえ、まあいいや」と嘲笑するので、「江藤さん、聞いて・・・」ととりすがっている。
この様子だと江藤も谷崎を評価しているようだが、考えてみると江藤は谷崎について何もまとまったことを言っていない。江藤の批評というのは、自分が言いたいことがあって、それを言うために作家や作品をダシに使うもので、小林秀雄流なのだが、谷崎や川端はそれにうまくはまらなかったのである。
しかし、谷崎や川端を文藝評論として論じるのは実はかなり難しいことで、谷崎なら中村光夫、野口武彦、河野多恵子などがやっているが、一番成功したのは河野の『谷崎文学と肯定の欲望』だろう。その河野にして、『細雪』は認めないという立場をとっていたし、時にマゾヒズムに焦点を当てることがあり、これはほかの人もやっているが、巷間有名な谷崎のフット・フェティシズムなるものは「富美子の足」と『瘋癲老人日記』にしか出てこないんじゃないか。
危うさがあった。