2021-10-01から1ヶ月間の記事一覧

アメリー・ノトン  「殺人者の健康法」アマゾンレビュー

とても面白い星5つ 、2021/10/31戦後の海外小説は概して面白くないが、これは「ガープの世界」などとともに三本の指に入るくらいの面白さ。登場人物はほぼ二人だが、湾岸戦争を前にした91年、83歳のノーベル賞作家プレテクスタ・タシュが軟骨がんという特殊…

友里千賀子への嫉妬

NHKの「朝の連続テレビ小説」を私が観るようになったのは、小学六年の時の、斎藤こずえの子役が話題になった「鳩子の海」からで、学校で昼食の時に担任の教師がテレビをつけて見せてくれたりした。 翌年から半年一作が原則となり、大竹しのぶの「水色の時」…

坂さんはどこへ

私は大学一年の秋から一年半ほど、綾瀬にある城東学院という塾でアルバイトをしていた。東大生が教えるという触れ込みだったが、先輩に坂さんという理系の東大生がいて、北海道の出身で、高校時代校舎の二階から雪の山の上へ飛び降りたなどというバンカラ話…

「浮名ざんげ」騒動

新聞検索をしていたら、1950年2月24日の「読売」に、北條誠が『小説新潮』二月号に載せた小説「浮名ざんげ」が、伊藤和夫(53)という人が昭和3-4年に『日活画報』に連載し、のち映画化された「浮名ざんげ」と同一題名、内容、主題歌も同じというので告訴…

ピンとこない英文学の話

北村紗衣の『批評の教室』に、ブルワー=リットンの『ポール・クリフォード』の「暗い嵐の夜だった」という書き出しが、英文学史上最悪の書き出しとして有名だ、と書いてある。ただ私にはピンと来なかった。 鴻巣友季子の『謎とき『風と共に去りぬ』』には、…

教えられないことを教える大学

大学では、「学問」という「教えられること」を教えるところではあるが、一部、教えられないことも教えている。人文系の学科において、小説の書き方などを教えているところがあるが、小説の書き方は、基礎は教えられるがそれ以上はやはり才能である、という…

岡田俊之輔氏に答える

早大准教授・英文学の岡田俊之輔氏(1963年生)が「絶對者を戴く文化、戴かぬ文化――諭吉、カーライル、獨歩、他 『WASEDA RILAS JOURNAL』第9號(早稻田大學總合人文科學研究センター、2021年10月)で私の『宗教に関心がなければいけないのか』に触れている…

校閲の苦労と友達

私が大学院生だったころ苦労したことの一つが、英文論文やレジュメのネイティブチェックである。あれはどういうわけか世間から、「友達や知人にやってもらえ」という圧力がかかり、カネを出して業者にやってもらうというシステムが当時はなかった。だが私に…

北村紗衣「批評の教室 ――チョウのように読み、ハチのように書く (ちくま新書) アマゾンレビュー

誰でも批評が書けるわけではない星2つ 、2021/10/14 174pまで読んだら「初心者向けの本」とあり、私はどう考えても初心者ではないので、読むのが間違いであったと気づいた。佐藤亜紀の『小説のストラテジー』に比べたら驚くほどつまらないが、それではしょ…

「暗夜行路」のヤギ

私は志賀直哉が苦手なのだが、世間には志賀を私小説作家だと思っている人がいて、これは蓮實重彦のせいなのだが、そこから話を訂正しなければならないのも嫌である。むしろ『暗夜行路』が一番いやで、あれは最初の四分の一だけが私小説なだけである。 ものす…

萩尾望都「一度きりの大泉の話」書評「週刊朝日」8月

一九九〇年前後、小学館の少女漫画誌『プチフラワー』に連載されていた萩尾望都の、少年への義理の父による性的虐待を描いた「残酷な神が支配する」を、私はなぜこのようなものを萩尾が長々と連載しているのだろうと、真意をはかりかねる気持ちで読んでいた…

谷沢永一の大学紀要論

日本近代文学者で評論家の谷沢永一・関西大学教授の「アホばか間抜け 大学紀要」は『諸君!』の1980年6月号に載った(「あぶくだま遊戯」所収)。大学紀要がいかにくだらない論文を載せているかという痛罵の論でその後しばらく話題になった。1988年の中沢騒…

世間で人気が高いが私は乗れない映画

凱旋門、望郷、用心棒、隠し砦の三悪人、ゴッドファーザー、仁義なき戦い(その他やくざ美化映画全般)、東京物語(小津映画全般)、理由なき反抗、ジュラシック・パーク、フォレスト・ガンプ、マディソン郡の橋、愛人、ポンヌフの恋人、バグダッド・カフェ…

俳優になりたかった

信じられないかもしれないが、私も一瞬だけ、俳優になりたい、と思ったことがある。高校一年のころである。結果的には、人づきあいが無理だろうといったことで霧消していったが、その時ちょっと悩んだことは、「嫌な人間を演じられるか」ということだった。…

「遊女」という呼称

某所で、明治初年の芸娼妓解放令で、遊女が娼妓になったという記述を見たが、徳川時代の娼婦を「遊女」と呼ぶのは疑問である。横山百合子の「遊女の終焉へ」(「近世史講義」ちくま新書)も疑問だが、遊女はむしろ中世的な用語で、近世においては公文書では…

知らないことは訊けない

私が修士論文を書いた時(1989年)、私はコピー室へ行って、オートシートフィーダを知らなかったため、一枚一枚コピーしていた。半分ほどやったところで事務の人がきて、オートシートフィーダを教えてくれ、「あらー杉田さん(助手)に訊けばよかったのに」…