2011-09-01から1ヶ月間の記事一覧

匿名野郎どもの心理

なぜ、あの匿名野郎どもは、「中村周一」とか、適当な、本名だと思われそうな名前を名乗らないのだろう。なぜ「荻上チキ」とかneueheue とか、変名だと分かる名前を名乗るのだろう。歴史上、政治活動をする者が変名を名乗るのは珍しいことではない。しかし坂…

「ミカド」の歌

http://dspace.lib.kanazawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/2297/483/1/AN00044182-104.pdf ポピュラー音楽研究の権威ともいうべき金沢大学名誉教授・三井徹の論文(2005)だが、この中に、 「ミヤサマ、ミヤサマ」の歌詞が、1868年の『ジャパン・パンチ』に記録…

博士号をとっていなければ博士課程修了ではない

大庭健(たけし、1946- )という倫理学者がいる。専修大学教授である。著書も多い。この人は著書などで「東京大学大学院博士課程修了」と書いている。しかし博士号はとっていない。つまり「博士課程単位取得満期退学」なのである。確かに昔は、人文系で博士…

くりかえしゴドーを観せられながら

いかん。里見伝でも久米伝でも書いた、1940年の新田丸の記念航海は、3月ではなく4月だった。どこで間違えたのか。 - こんなことはもう誰かが書いているだろうが、刑務所の囚人にベケットの「ゴドーを待ちながら」を観せたら意外な感動を示したという有名な…

ホゲタラの用法

近ごろ私はよく「お前らみんなホゲタラだ」と言うのだが、その言葉はここから。 これは藤田淑子さんが一人で歌っていてそれも感動なのだが、要するに「体裁ぶって立派なことを言っているようだがクワセモノ」という程度の意味である。 『どろろ』では実は友…

極論を言わないと売れないのか

アリエスの『<子供>の誕生』は、近代になって、純真無垢な子供という幻想ができた(これを「A」とする)という説なら良かったのに、近代以前に「子供」という概念はなかった(「B」)という極論に走ってしまった本だ。丸谷才一の『忠臣蔵とは何か』も、…

図書館の本の放出

近所の図書館が、このところ大量にいらない本を放出していて、私もどんどん貰ってきている。明治大学でもやっていたが、明大のほうは、いかにももう不要という感じのが多かったのだが、こちらはけっこう新しいものも多く、『昭和文学全集』の別巻なんかただ…

井上健さんの『文豪の翻訳力』は、もうずっと前に出た丸善ライブラリーの『作家が訳した世界の文学』を増補したものである。しかし翻訳では近ごろ騒動を起こした出版社から出ているけれど、中身は大丈夫である。 それはさておき、中西裕『ホームズ翻訳への道…

米国民主党は呪われているのか

元米上院議員の長女、カラ・ケネディさん死去 AP通信によると、カラ・ケネディさん(故エドワード・ケネディ元米上院議員の長女)が16日、ワシントンのスポーツクラブで運動後に心臓発作を起こして死去した。51歳。 ジョン・F・ケネディ元大統領のめ…

東電差別に抗議する

http://hoppojournal.kitaguni.tv/e1838743.html この記事に付記してもらったが、私は「東電差別」が広まることを憂えている。上層部に対して不信があるのは分かるが、あとはただの会社員である。会社の金で風俗店を利用しようなどというのは、どの企業であ…

「乙女の港」は中里恒子作

2009年に実業之日本社というもともとの版元から、川端康成の少女小説『乙女の港』の復刻本が完全復刻本と新装版の二冊組という豪華本で出たのが、今度は文庫になるという。 しかし、『乙女の港』は川端の作ではない。芥川賞受賞前の主婦作家だった中里恒子の…

坪内祐三の「八百長野郎」

『本の雑誌』十月号を立ち読みしたら、坪内祐三が玉木正之を罵倒していた。技量審査場所で、白鵬が魁皇に負けた一番が、八百長だと玉木が書いたからである。玉木はどこで観たのか、自分は升席の前から八番目で観てすごく興奮した、玉木こそ「八百長野郎」だ…

康本雅子

「想い出屋」

歴史小説主人公別一覧は、見づらいのでウェブサイトに移動設置しました。 http://homepage2.nifty.com/akoyano/hisnov.html - 藤本寿彦『幸田文―「わたし」であることへ―『想い出屋』から作家への軌跡をたどる』(翰林書房、2007)の冒頭部ははなはだ面白い…

丸谷才一のエッセイ

丸谷才一といへば私小説を衰退させるのに力のあつたひとだから、私からすれば宿敵である。けれども、小林秀雄を認めないところとか、元号廃止論者であるところとか、漱石の『文学論』がつまらないとか、意見の合ふところもあるのだけれど、まあ今年八十六才…

春画の賞味期限

『週刊朝日』で青木るえかが、春画ものの新書で、初めて春画を見て驚いたと書いている。しかしあまりエロティックではなかった、とも書いている。私は、ぼかしなしの春画を見たのは十数年前で、それからいくつか見てきたが、もうすっかり飽きた。あれはそう…

富永健一自伝

富永健一というのは、偉い社会学者である。三浦淳先生は、世間は上野千鶴子や宮台真司を社会学者だと思っているのだ、小谷野はああいうのは社会学者としては変わった部類だというが、それは少数意見だと言うのだが、私は意見ではなくて事実を言っているので…

(活字化のため削除) - 私が北条民雄を読んだのは、高校時代に文学好きの同級生が角川文庫版を「読んだら暗い気分になったから上げる」と言ってくれた時である。 その後か、大学生のころだったか、新聞の「ひととき」とかいう単独投稿欄に、息子が受験に失…