2015-01-01から1ヶ月間の記事一覧
松原知生という西南学院大学教授の『数寄物考』というエッセイ集には、川端康成について、古美術を扱った作品は「現前性を欠いた空疎な文体で書かれている」として、『千羽鶴』がその最たるものだとしてあるのだが、「文体」の問題かどうかはともかく、『千…
カール・ポパーは、確か『推測と反駁』の中で、お前は科学というものを信奉しているのではないかと言われたらその通りだ、と書いていた。 私もそうだが、たとえば「学問か科学かなんてどうでもいいっ、私はフロイトやユングやオカルトが好きなのよっ」と言っ…
ソール・ベローは『ハーツォグ』でノーベル文学賞をとったとされる。これはベローの実体験に基づいた小説で、大学教授ハーツォグが妻を寝取られ、精神錯乱に陥りつつ、自身の過去を振り返るという体裁をとっている。ノーベル賞においても、私小説の類は強い…
野間易通とは、2007年ころ、私が卑劣な嫌煙活動家と戦っていた時に、ちょっとした共闘関係にあって、2008年2月には、学研から出る子供向け職業紹介本に「評論家」として登場してほしいと依頼を受け、快諾している。ただし今題名が思い出せない。2009年2月に…
「在特会」が話題になっている。在日朝鮮・韓国人の特権を認めない会といい、代表は桜井誠(本名・高田)である。橋下徹・大阪市長と桜井の罵り合いの映像が流れた。また、「朝日新聞」が、朝鮮人の従軍慰安婦の強制連行について、吉田清治の証言が信用でき…
私の『日本文化論のインチキ』を池田信夫は「最もインチキな日本文化論」と言ったのであるが、私が「どこがインチキなのか」と訊いたら、「インチキでないところがない」と言ったまま逃げた。 だいたい、「この本はつくり話のオンパレード」とか、「事実誤認…
『谷崎潤一郎の恋文』やっと読み終わる。私の場合、詳細年表を修正しながらなので時間がかかりへとへとになって今。 なお昭和19年6月12日のところに置かれた、渡辺明のパラチフスに触れた重子宛の書簡は、もともと全集で3月12日のところにあったものを移動し…
どうにも腹がたつ。いや選考委員のことではなく、15日の九時過ぎに電話をかけてきて「残念だったね」とか言った男である。これは英文科の同期である。Nとするか。特に私と親しかったわけではないが、どうもこの十年ほど、することがおかしいのである。建築会…
『谷崎潤一郎の恋文』を読んでいたら、松子との出会いのきっかけとなった改造社の大阪での講演会が、1927年2月27日とあり、あれっと思った。28日だと思っていたからで、『芥川龍之介全集』の年表でもそうなっている。千葉先生に確認したら芥川全集のが間違い…
芥川賞の選考が済んだ。私はその結果に不満であるのみか、小川洋子の談話によって報道された講評がまったく的外れであることに失望した。もともと、そんな賞ではないか、東浩紀とお前は同じか、と言われれば一言もない。 選考委員のそれぞれがどうであったか…
「ヌエのいた家」は、もとは「ヌエ記」という題で、編集部の要請で改題したのだが、実は編集部に持ち込む際、冒頭の一部を削除している。あまりに生々しいと思ったからである。ヤケなのでここで公開する。 * ヌエが死んだあと、私は二度ほど実家へ行って、…
川端康成が死んだ時、通夜の導師を、寛永寺執事長の赤沼義俊という人が務めたと当時の新聞にあった。ところがこの名前、検索しても出てこないので、川端伝には書かなかったのだが、今回改めて調査すべく、寛永寺に電話して訊いた。ところが、調べて折り返し…
http://members3.jcom.home.ne.jp/knch.tominaga/sisin-sinpomitsuru.htm 偉大な社会学者・富永健一の『戦後日本の社会学』への、社会学者・新保満の私信を書評としてアップしたものだが、何だか妙。 仮定の問題として(1)御高著と一字一句同じ本を、(2)…
http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/KG/0021/KG00210L042.pdf スウェーデン在住の大木ひさよという人の、ノーベル賞に関する論文である。いささか新発見の事実もある。もっとも、安部公房が生きていたらとっていただろうというのは大江の場合であろ…
谷崎の最初の妻との間の娘・鮎子は、谷崎の唯一の実子である。彼女は千代を譲られた佐藤春夫の甥の竹田龍児と結婚した。泉鏡花の媒酌である。龍児は慶大卒でヴェトナム史専攻、のち慶大教授になり、妻鮎子のあとを追うように同じ年に死んだから、愛妻家のよ…
1月7日、NHKの「クローズアップ現代」で、今度書簡集が出る谷崎と松子をやっていた。録画して観たが、実に嫌な番組であった。千葉俊二先生は、はじめいきなり「専門家」として出てきて、あとではもちろんちゃんと名前も出るのだが、スタジオに来たのは高…
小堀杏奴『朽葉色のショール』講談社文藝文庫の、小尾俊人作成の年譜で、長女の桃子が1959年4月2日に、横光利一の次男・佑典と結婚とあるが、藤田圭雄が川端康成の動静を記した日記では1962年5月2日になっている。小尾が故人で典拠を確認できない。情報求む。…
1975年にNHKで『真田十勇士』をやっていた時、前番組の『新八犬伝』が尻上がりに人気があったので、関連書籍がいくつも出た。漫画とか。私は柴田錬三郎が書き下ろしている原作本を買っていたのだが、これがなかなか次の巻が出ず、とうとう、当初は全六冊…