2013-10-01から1ヶ月間の記事一覧

ムルハーン千栄子先生に訊きたいことがあって電話したのだが、結局訊きたいことについてはご存じなく、だが一時間半くらいしゃべった。まあムルハーン先生がしゃべるのに懸命についていった感じだが、80歳を超えていよいよエネルギッシュである。 『八犬伝』…

1995年4月16日の読売新聞の連載記事[戦後50年にっぽんの軌跡](62)作家の死 太宰・三島・川端」に、「谷崎潤一郎、若き安部公房、大江健三郎もさかんに書き、社会への影響力、売れ行きともに頂点をきわめようとしていた七〇年代初頭。「それは日本に…

昭森社の謎

昭森社 1935年森谷均が創設。森谷均(1897年6月2日−1969年3月29日)は岡山県出身。中央大学商学部卒。1934年斎藤昌三の書物展望社に入り、35年東京京橋で昭森社を創業。詩集、美術書など良書を出版。戦後神田神保町に移り、46−49年総合雑誌『思潮』、61−87年…

誰もが絶賛は気持ち悪い。

『石原慎太郎を読んでみた』はもちろん栗原さんから恵贈された。朝日新聞に佐々木敦の書評も出て、アマゾンでも読書メーターでも、絶賛されている。これはまずい。「批判禁止」の雰囲気がある小説、ということを田中弥生が『文學界』の「新人小説月評」で書…

私が「私小説派」になった原因の一つに、若いころあまりに私小説はダメなものだと思い込み続けていた反動というのもある。ほかにも、まったくフィクションだと思って読んでいたものが、あとになって、けっこう事実なのだと分かったため、というのもある。『…

山川方夫と『洋酒天国』

作家・山川方夫(1930-65)は、江藤淳(1932-99)の親友だった。いずれも慶應出身で、山川は大学院に進んで小説を書き、『三田文学』の編集長をしており、江藤にも何か書くよう言った。江藤は漱石を書こうかと思ったが、英文学のほうにしようかと迷った。山…

江藤淳はNHKの解説委員だったしNHKにはよく出ていた。『明治の群像』は脚本も書いたし、80年代からは「テレビコラム」や「視点・論点」のレギュラーだった。しかし江藤以後、文藝評論家などがテレビに出ることは少なくなった。福田和也などNHKに出たことはな…

澁澤龍彦と小島信夫

『澁澤龍彦全集』別巻2に「大江健三郎の文学」という座談会が入っている。1959年だから、まだ大江が『われらの時代』を出す前で、出席者は江藤淳、篠田一士、澁澤なのだが、これがかなりひどい。澁澤が、嫉妬もあるのか大江を散々に貶している。江藤が一番大…

三四郎の身長

板坂元の『日本語横丁』を見ていたら、『三四郎』から、「三四郎は背の高い男である」として、美禰子を見下ろしたというのと、広田先生は身長が五尺六寸あるが、三四郎は五尺四寸五分しかない、とあるのを比べて、それでは背が高いとは言えないだろう、と書…

もう八年くらい前になるだろうか、私が、自分で料理が作れないと書いたら、ネット上で、「もう家庭料理などというのは崩壊しているのだ。男も自分で料理くらい作れ」と叱咤してきた者がいた。 岩村暢子の『<現代家族>の誕生 幻想系家族論の死』は、のち改…

『日本の有名一族』155pの江藤淳の系図にとんでもない間違いがあった。義母・日能千恵子が1940年生となっているがこれは妹・初子の生年で、弟・輝夫が1944年生。マリオ・メルカンテと結婚したのも初子。関係者にお詫び申し上げ訂正する。 - 伝記好きが嵩じ…

(活字化のため削除) - http://www.caritas.ac.jp/france/nobuko_inaba.php 「最終学歴(学位) カリタス学園同窓生、早稲田大学大学院博士課程満期退学(文学修士 ) 」 「カリタス学園同窓生」ってそれは学歴ではないのでは。カリタスは短大なので、そこ…

「青春放課後」でちょっと歌詞への言及があったのだが、私の大好きな歌である。藍川由美さんが「国民歌謡」で歌っているのがいい。「NHK 國民歌謡?われらのうた?國民合唱」を歌うアーティスト: 藍川由美,斉藤京子出版社/メーカー: 日本コロムビア発売日: 200…

映画版『妖怪人間ベム』を観たらけっこう良かった。私はアニメのほうはリアルタイムで観ていたはずだが、あれは結末が悲しかった。ドーナツ盤のレコードも当時買ったのだが、裏がおきまりのベロの歌で、大人は、あんな子供とつきあっちゃだめ、と言うのだが…

老人のエロス

小池真理子の『沈黙のひと』(吉川英治文学賞)は、死んだ父親のことを書いた半私小説である。父は1923年生まれ、学徒出陣ののち東北帝国大学を卒業して昭和石油に勤めた文人肌の人で、死んだあと、老人ホームから、段ボールひと箱分のAVやら「ウラ本」が出…

『勉強法』で、サイニイからレポジトリをへてpdfへ行く方法を示したのだが、それでは不十分だったことが分かった。pdfで最初に論文の表紙が出てくるのだが、そこでさらにどこかへ飛ぶべきだと思ってかたまってしまう人がいることが判明したのである。…

実は私は川端康成の書簡を一通持っている。古書店で売っていたのを通販で18万くらいで買ったのだが、三浦君子という人宛てだったからである。1947年3月10日づけだが、届いて中身を見てがっかりした。当時川端は白木屋にあった鎌倉文庫に勤めていたが、三浦と…

高校一年生の時である。現代国語の授業で、生徒の一人が教科書を読み上げていて、「早速」が読めなくなった。教師は「そうそう」だと指示した。幾人かの生徒が、はあ? という疑念のつぶやきを発した。私もその一人である。教師は慌てて、辞書でも引いたのか…

二人の人間が会話をしていて、ふと沈黙がおち、同時ないしほぼ同時に言葉を発してしまうことがある。映画やドラマでは、恋愛関係に入る寸前の男女は、こういう時に、二人とも、「あの…」と言って、また黙って下を向いてしまう。現実においては、へだてのある…

先天的相貌失認

ミラ・ジョヴォヴィッチが主演している「フェイシズ」という映画を観て、アマゾンレビューを書こうと思ったのだが、考えてみると私がこの映画のレビューを書くのは不適切である、と気づいた。 これは、殺人現場を目撃してしまった女が、暴行されて命は助かる…

博士か大臣か

博士にして大臣という人を調べたのだが、大して面白くない。 外山正一(1848−1900) 東大文学博士 文相 平田東助(1849−1925) ハイデルベルク大学法学博士 農商務大臣、内相 末松謙澄(1855−1920) 東大文学博士 逓信大臣、内相 菊池大麓(1855−1917) ケン…

先般の小山敦子先生の件、伊藤鉄也氏がこんなことを書いていた。 http://genjiito.blog.eonet.jp/default/2010/03/post-dd0d.html なお「英訳蜻蛉日記について」(『國文學』第2巻10号)はサイニイでは見つからず、代わりに「蜻蛉日記が作者にもたらした「…