2022-11-01から1ヶ月間の記事一覧

丸山健二という人

綿矢りさらに抜かれるまで、最年少23歳で芥川賞をとった丸山健二は、私が大学生のころ(1982-)「朝日新聞」紙上の小さなコラムに「ガキの小説」というのを書いていた。今のアメリカの小説は「ガキの小説」になってしまったというのだ。具体的にどういうもの…

それまでの否定

もう7年くらい前になろうか、私が何度めかの、中井英夫の「虚無への供物」はわけが分からないというのを書いた時に、斎藤慎爾が、安藤礼二の『光の曼荼羅』で論じられていると言っていたので、それを読んでみたら、安藤は、これまでの論者は「虚無への供物」…

昭和の「まじめ」

阪大へ就職してひと月ほどした五月ごろ、言語文化部が教養部から独立した十周年祝賀パーティーというのが開かれて、生協の二階の食堂に集まった。私らみなスーツにネクタイ姿だったが、一人だけ、ネクタイをしていない40代くらいの教員がいた。ヨコタ村上ら3…

ポモ崇拝者誕生の時

2002年の12月に、東大比較文学出身者による「恋愛」シンポジウムが行われた。その時、「ドン・ジュアン」の比較文学などは成立しないと、プリンストン大学に提出した博士論文で主張していたヨコタ村上孝之は、その話をして、「じゃあドン・ガバチョの比較文…

生殖器に電流を

私は英文科を出て比較文学の大学院に行ったが、二年目に英文科で高橋康也先生が開いている大学院のゼミに出席した。阿部公彦、河合祥一郎といった人たちがいた。そこで知り合ったT君は、法学部から英文科の大学院へ来た人で、親の命令でいやいや法学部へ行か…

対談集の夢

私は若いころ、山崎正和とか江藤淳みたいな有名文化人になりたかったが、結局それは半分くらいしかかなわなかったと言うべきだろう。 30代半ばで「もてない男」が売れた時は、もっと売れていくつもりでいたが、まあそうもならなかった。まあ当ての外れたのは…

音楽には物語がある(47)ウルトラヒーローと冬木透 「中央公論」11月号

劇映画「シン・ウルトラマン」を観に吉祥寺まで行ったのは、東京都での新型コロナ感染者数が千人を切った日の翌日で、電車に乗るのは二年四カ月ぶりだったが、感染者数はその日にはまた千人を越し、さらに三万、四万まで増えていて、あの一日しかなかったこ…

知らないで驚く

私が高校生のころ、予備校でもらった二枚折の冊子か何かに、予備校の日本史の教員が、「円座」を「わろうだ」と読むことをこないだまで知らなかったのでショックを受けた、と書いていた。そのあと、学問は難しいものだとでも続いたのだろうか。しかしこの人…

作家の取材と研究

吉村昭が、俳人・尾崎放哉の最晩年を描いた『海も暮れきる』を読んだ。放哉は私の好きな俳人だが、実に凄惨な最期だった。ところでこれは77-79年に講談社の『本』に連載されたもので、吉村は放哉歿後50年くらいで、小豆島へ行って関係者の話を聞いて書いてい…

夏目漱石と厨川白村

『アステイオン』に張競さんが厨川白村の伝記を連載している。これはミネルヴァ日本評伝選で予告されていたから、それになるのか、よそから出るのかは知らない。昨年の6月ころ、ふと読んでみたら、漱石が主宰する朝日文芸欄に白村が寄稿するので、漱石から白…

幕見席(最終回)

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幕見席(5)

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幕見席(4)

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幕見席(3)

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幕見席(2)

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