教養ということ

私は中学二年の夏休みに、三週間アメリカのミネソタ州へホームステイに行った。その前に、持っていくものを買うため家族四人で日本橋三越へ行った。父は会社の給料では足りないので補いのため三越からロレックスの修理の仕事をしており、母が使いとしてよく行っていたからだ。

 そこで、相手の家族に聴かせるレコードを買っていこう、と母が言いだし、レコード店へ行った。まだCDのない時代だから、私は童謡などの入ったレコードを見つくろって見せていたのだが、母が、「なんか、幼稚じゃない?」と言ったのである。

 私は、日本の歌をアメリカ人に紹介するので、こういうのがいいだろうと思っていたので、「じゃあ、どんなものを?」と反問したら、母はフリーズしてしまい、具体的にどんなもの、とまったく言えなくなり、父はといえば、ぼうっとした人だから、自分がなんでここにいるのかさえ分からなかっただろう。それで数分たって、じゃあ買うのはやめようということになった。

 私は今日まで、あの時の凍り付いた母について、ずっと釈然としないものを感じていたのだが、おそらく、北原白秋の詩に曲をつけたものや、「島原地方の子守歌」など、のちに鮫島有美子が出したようなものを、母はうすらぼんやり考えていたのだろう。ところが、私に反問されて、教養がないからまったく具体的に言えなくなってしまったのだ。