伊藤整の「泉」

伊藤整は、英文学者・翻訳家・小説家・詩人・評論家だが、存命中に小説で文学賞をもらったことが一度もなく、死んでから『変容』で日本文学大賞をとっている。

 伊藤の小説は、初期には純文学的・私小説的なのだが、戦後1950年代から「誘惑」とか「感傷夫人」とか「火の鳥」とか、通俗小説じみてくる。しかるに当時の批評は、『火の鳥』を、組織と人間を描いた作品などと純文学扱いしていた。最後まで読まれていたのは『氾濫』だろうが、これも何とも位置づけの微妙な作品である。

 『泉』も微妙である。主人公は富士大学の教授の英文学者・軽部正巳で、40歳を少し出たあたりか、妻の秋子はえらい教授の娘で、父が作った清行会という団体の理事長をしている。軽部は「新人格主義」などというものを唱えているが、酒好きで、夕方になると「ユメジ」とかいった店へ飲みに出かける。ある日、そこの油谷(ゆたに)くめ子というホステスから、酔ったまぎれにキスされてしまう。それを、富士大学の学生で、軽部を尊敬している織田守という学生が目撃してしまい、匿名で、ああいうことをしないでくれと手紙を出す。ところがこの手紙を妻の秋子も見てしまい、軽部を問い詰める。

 織田はくめ子に会いに行くが、くめ子は織田にもキスしてしまう。織田は女子学生の杉木あやというのにそのことを話すとあやは涙ぐむ。秋子は家政婦の豊子に暇を出し、夫の貞節を疑って取り乱すが、そのことによって夫と激しいセックスをしてこれまでにない満足を得る、といった小説で、通俗小説にしか見えないのだが、角川文庫の解説で奥野健男は、人間にとって愛とは、夫婦とはといったことを追及した小説だとしつつ、通俗小説的なところもあると認めている。