2024-03-01から1ヶ月間の記事一覧

永井龍男「雑文集 ネクタイの幅」講談社、1975

何しろアマゾンレビューからは閉め出されているし、読書メーターにはこの本の登録がないしするのでここに書いておく。最初のほうはいかにも身辺雑記や天気の話などが多かったが、自作解説や他の文学者の話になると面白くなる。子母沢寛が『戊辰物語』をほと…

創作「これはフィクションです」終

ふと、蕨ミニシアターというストリップ劇場へ行ってみようか、と思った。これは九年くらい前に一度行ったことがある。埼玉県のさいたま市の南にちんまりと存在する蕨市の蕨駅から歩いて少し行ったところにあるが、狭い階段を昇って行って、貧弱な楽屋みたい…

創作「これはフィクションです」(3)

その夏は、どえらい暑さだった。地球温暖化がどんどんひどくなっているのではないかと、泉は不安になった。妻のいるフランスもかなり暑いらしかった。 泉には、友達がいない。もちろん、学生時代の知り合いとかで、何かあったらメールするとかいう相手はいる…

創作「これはフィクションです」(2)

泉が予備校生から大学生になるころは、吾妻ひでおがブームになったり、大久保康雄訳のナボコフ『ロリータ』が新潮文庫に入ったり、『ミンキーモモ』や『コロコロポロン』がアニメになったりして、ちょっとしたロリコン・ブームだった。それが数年後に、宮崎…

創作「これはフィクションです」(1)

これはフィクションです 小谷野敦 朝、目を覚ますと、今日はどういう楽しいことがあるかを考えないと、起き上がれない。たとえばその日は、昼には天ぷらそばを食べよう、と思って起き上がった。 十五年前にタバコをやめてから、こうなった。それまでは、朝起…

猫の目の谷崎潤一郎

城山三郎の『もう、きみには頼まない 石坂泰三の世界』を読んでいたら、一高時代の話で谷崎潤一郎が出てきて、「両手をポケットに突っ込んで猫のような目をして歩いている秀才の谷崎潤一郎」と書いてあったが、谷崎のこういう描写は見たことがないのでメモし…

フィクションの笑いと事実の笑い

大江健三郎の『ピンチランナー調書』は、大江没後、雨後の筍のように叢生した大江論の中でも、あまり言及されることはない。この長編が新潮社から刊行されたのは一九七六年で、「哄笑の文学」として大きく宣伝されていた。その時中学二年生だった私は、二年…

中西進と中村光夫について

Amazonで、私の「もし『源氏物語』の時代に芥川賞・直木賞があったら」に、sasabonという人が2月26日づけでレビューを書いた。「目くじらを立てるほどではないですが、過去の名作を恣意的に「芥川賞・直木賞」に選定したというお遊び」というタイトルだ。以…

音楽には物語がある(63)「或る日突然」と「Dear My Friend」  「中央公論」3月号

「或る日突然」は、1969年に男女2人組のトワ・エ・モワが歌ってヒットした曲で、作詞は山上路夫(作曲・村井邦彦)である。私は当時小学校一年生だったし、その時はこの歌を聴いた記憶はなく、あとでマンガの中で人物が口ずさんでいるのを見たことがあるが…

ケン・フォレット「大聖堂」が日本ではイマイチなのはなぜ

先日、アメリカの作家ケン・フォレットが12世紀英国を舞台にして書いた大長編『大聖堂』について、これははじめ新潮文庫で翻訳が出たので、新潮社の校閲の人が原作のミスを見つけたという記事を読んだ。前から『大聖堂』は気になっていて、世界で二千万部の…

川端康成と服部之総

大正15年末に、川端康成は伊豆の湯本館に滞在していた。そこへ大阪から梶井基次郎がやってきて、川端と知り合い、そこで肺病の養生をした。その時のことは『川端康成詳細年譜』(深澤晴美共編)に詳しく書いてあるが、服部之総は出てこない。 しかし、京都精…