曽野綾子「観月観世」の謎

曽野綾子に「観月観世 或る世紀末の物語」という小説があり、集英社から2008年に出て、文庫にもなっているが、誰もアマゾンレビューを書いていない。これは1982年から25年かけて散発的に書かれた連作小説で、

「観月観世」「新潮」1982年2月

「祝福の夜」「文學界」同3月

「沈黙の宮殿」「群像」1994年4月

「月餅」同96年2月

「二人」同96年10月

「包丁」「すばる」2002年9月

「小さな苦労人」同2006年2月

「月光と消失」同2007年12月

 という気の長さで、最初の二編を書いたあと12年も放置されていたことになる。書き始めたころは曽野も52歳だが、終わった時は77歳になっていた。当人は20世紀中に終わらせるつもりだったらしい。

 中身は、宇佐見暁照という初老の裕福な男が、同年配の男数人を集めて、月に一度観月の宴を開くというもので、鳴滝厚、箕輪十三郎、鱸和彦、荘保千明という女性作家の小説に出てきそうな名前の男たちが集まる。宇佐見は戦時中にボルネオで死にかけたというから1925年以前の生まれだろう。

 こういう風にあちこちの雑誌に散発的に連作を発表するというのは川端康成がよくやったことで、当人は、はた迷惑なやり方だと言っているのだが、意識してやっていた。それで、真似する人もいて、伊藤整が、どう見たって通俗小説のくだらないほうである『火の鳥』をこの形式で発表してベストセラーにしているのだが、伊藤整というのは川端の側近の文壇政治家だったのに、生前一度も小説で賞をとったことがなく、生前は『日本文壇史』で読売文学賞、没後『変容』で日本文学大賞をとっただけである。

 曽野綾子はこれで死に向かう自分の気持ちを表現したかったようだが、94年に文芸時評を『海燕』でやった中島梓が、『群像』に唐突に載っている「沈黙の宮殿」を、これは続きものなのか? といぶかっていたので読んでみただけである。

小谷野敦

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