2012-12-01から1ヶ月間の記事一覧

マジックリアリズム

マジック・リアリズムというのは、事典風に言えば、通俗小説を純文学に見せかけるために考案された技法、というところか。 20世紀半ば、いわゆる純文学は、死滅しつつあった。19世紀の小説の技法はおおかた通俗小説に流用されるようになり、純文学と言えるの…

二年くらい前だったか、高校の国語教師の集まりで講演を頼まれて行ってきて、日本語教育と文学教育は分けるべきだって話をした。いつも言っていることだが、おそらく私の本など聴衆はほとんど読んでいなかったから、えらく反応は悪かった。日本語教育という…

こないだ届いた滝口明祥の『井伏鱒二とちぐはぐな近代』の題名は鷲田清一からとったようだが、あとがきを見ると著者は広島の高校にいて、教師たちの反日の丸・君が代闘争があり、それがために国旗・国家法ができたと書いていて、天皇制がすべての悪のもとで…

某20世紀の遺物的護憲学者らしい鈴木正の『九条と一条―平和主義と普遍的妥協の精神』をぱらぱら見たら、まったくの雑文集でよくこんなの本にしたなと思ったが、この人、憲法九条を「国体護持」のように「九条護持」と言っていて、そのくせ、天皇制はすぐ廃止…

国会図書館へ行ったが、デジタル化というのがとんでもないしろものであるということが分かった。何しろ今日は、『文藝春秋』に載っている文春講演会の広告を調べに行ったのである。冊子なら、ぱらぱらとめくれば広告は紙が違うからすぐ分かる。デジタルでは…

『日本恋愛思想史』で、尾崎紅葉の『不言不語』や『金色夜叉』が、バーサ・クレイの翻案だとされていることを書き落とした。もっとも他意はなく、私が自明の事実だと思っていたせいであるが、やはり注記しておいたほうが良かったな。

昼間図書館で、テーブルと書棚の間の狭いところで、十歳くらいの男の子がメモを見ながら考え込んでいた。私はそこを通ろうとして、身ぶりでどくよう示したのだが、男の子は、こちらへ体を向けたままあとずさる。横へはけてくれればいいのに、まっすぐ後ろへ…

重言 

こないだたまたまサイニイの論文で、工藤力男(1938- 成城大名誉教授)の重言の論文を見つけた。「過半数を超える」はおかしいというのである。「被害をこうむる」「在庫がある」「犯罪を犯す」も重言であると書いてあって、これは面白いと思った。「被害に…

谷崎先生・・・

浅田彰は、「自分はこう思った」などとぬけぬけと書いてさまになるのは谷崎潤一郎くらいの人物だけだといったそうで、高田里恵子さんはこれを読んで、そうなんだよなあと思ったという。いや別に浅田の言うことをいちいち気にする必要はないだろう、と前に書…

会津もの嫌い

書店へ行ったら来年の大河ドラマの関連本がいくつも並んでいたが、今年は立ち読みする気も起きない。何しろ近年の大河ドラマの傾向として、女が主人公になると、その時代としてありえない、ことが次から次へと出てくるのが常道だから、いや〜な予感がするの…

ところで滝沢誠の本についてはここに書いてある。 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0093.html たいてい一つくらい間違いのある松岡正剛だが、 父の権藤直は真木和泉・木村赤松とともに、勤皇党の領袖である池尻葛覃に学んだ。直は品川弥二郎・高山彦九…

著書訂正: 『日本恋愛思想史』123p「三人吉三」に「きちざ」とルビ→「きちさ」 121p「頂相」→「肖像画」 滝沢誠『権藤成卿』ぺりかん社には、滝沢の半自伝が載っていてこれが面白い。滝沢は成蹊大学卒だが、これは高校時代に読書に耽って勉強しなかったた…

文学理論

呉智英さんの『吉本隆明という共同幻想』を読んでいて、『言語にとって美とはなにか』が『言語美』と略されることを初めて知った。かつて蓮實先生が、一冊の書物であることの必然性が疑わしかった、と言ったが、私も同感ながら、今ではもちろん、全然存在価…

三島由紀夫と生方たつゑ

『短歌研究』1956年7月号に「日本美の再発見」と題した、三島由紀夫と生方たつゑの対談が載っている。三島三十一歳、生方五十二歳だが、これは生方側の熱心な懇請で実現したらしい。 たつゑの娘である生方美智子(1928- )の『母とのたたかい』(リヨン社、1…

呉智英さんの新刊『吉本隆明という共同幻想』は、呉智英さんの懺悔の書ともいえる。学生時代、先輩たちからバカにされないために必死で吉本を読んだ、といった話がちりばめられている。 私は呉さんの『読書家の新技術』で、『共同幻想論』について、吉本は文…

『立川談志を聴け』という本で、山本益博が私と小林信彦と中野翠を批判していると聞いたので図書館で見てきた。小林と中野は反談志だから分かるが、なんでわしが? と思ったが、どうも、落語を好きになったら談志を生で聴くのはもとより、楽屋に訪ねたり一緒…

江戸三座

江戸三座は、中村座、市村座、森田座(守田座)である。控え櫓として河原崎座などがある。 それぞれの座元が、中村勘三郎、市村羽左衛門、森田(守田)勘弥である。明治以後も長く残っていたのが市村座で、森田座は宮戸座になり、座元名も特に劇場とは関係な…

http://blog.goo.ne.jp/neuro-philosophy/e/db2fd1f78720a753f7a42fa9fa351f2a これは河村次郎(1958- )という哲学者だが、里見とんはもて男である。東洋大学出身だけあって頭がスカスカであるなあ。とんの字が違うのは化けるからか。別に偏愛などしていない…

私の本を読んで「はじめに結論ありきという感じがした」と書いている人がいたのだが、自著なんだからはじめに結論があるのは当たり前なのだ。「はじめに結論ありき」という言葉は、会議などをする際、特に政府の審議会とか地方自治体の公聴会とかで、部外の…

佐藤春夫と諏訪根自子

1964年に佐藤春夫は、ラジオの録音中に急死したが、遺作となったのが、『文芸』六月号に載った120枚の「玉を抱いて泣く」120枚である。五月七日発売とすると、出た時に佐藤はもう死んでいた。なおこの『文藝』には、富島健夫の「雌雄の光景」320枚が載ってい…