北村薫さんに、『太宰治の辞書』をいただいた礼状を書いたらお返事が来て、私の『江藤淳大江健三郎』で、小宮豊隆の『夏目漱石』がいいと知ったがまだ読んでいないのでこれから何とかして読みたい、とあった。
 実際小宮の『夏目漱石』ほど、誤解されたまま読まれずにいる本もあるまい。「漱石を神格化」などしていないのだ。むしろ江藤淳小森陽一のほうがよほど神格化している。
 それでふと思い出したのが、米田利昭(1927-2000)の『わたしの漱石』で、これは当時としてはなかなか痛快な漱石論集で、『こゝろ』については、「フェアプレーは早すぎる」という、魯迅の随筆から題名をとったものを書いていて、「先生」と「K」では持っている財産が違う、「先生」の財産にしても、当時の、長男が全部持って行く相続制度があって、それを次男である叔父がちょっと持って行ったからといって怨恨を抱いたりするのはどうか、と書いてあった。
 それはさて、米田はそこで、岩波文庫では漱石の作品をリニューアルして、小宮豊隆の解説に変えて若手の文芸評論家の解説をつけるようだが、小宮の解説があればこそ、おのれ小宮、と敵愾心が湧いたのに、と書いていた。
 若手の文藝評論家、というが、実際に解説を書いたのは、平岡敏夫辻邦生相原和邦、吉田熙生、江藤淳、重松泰雄、桶谷秀昭高橋英夫阿部昭、菅野昭正、石崎等、竹盛天雄、古井由吉三好行雄といった、1930年代生まれの、当時五十代の人が中心で、米田から見たら若手だったのかなあ。

わたしの漱石

わたしの漱石