レッシング「ミンナ・フォン・バルンヘルム」と, 小宮曠三の解説

岩波文庫で、ゴットホルト・エフライム・レッシングの「ミンナ・フォン・バルンヘルム」を読んだ。ベルリンのある宿屋で、ミンナと婚約者が遭遇し、何か誤解が生まれて関係が敗れそうになるが誤解が解けてハッピーエンドになるという喜劇らしい。かなり丁寧になされた翻訳で、以前グルジアと言われていた土地が、1962年当時ジョージアと今と同じに呼ばれていたことが分かる。

 ところが読んでいてふっと何が問題なんだか分からなくなる節があり、いくらか気が遠くなったりもして読み終え、訳者・小宮曠三の「解説」を読めば分かるかと思って読み始めてたまげた。この解説、46ページもあり、ほぼレッシングの全生涯を論じつくす論になっている、それもそのはずで、もともと1940年に小宮が大学を卒業する時に書いた、つまり卒論を改定したものだという。道理で「ミンナ」の解説になっていなくて、フリードリヒ大王の治政がいかなる欠陥を持ち、レッシングがそれとどう関係したか、当時の軍人の地位とかが縷述されていて、こういうことを心得ておかなければこの喜劇は理解できないのか、と思わせる。

 だが、レッシングには「賢者ナータン」という戯曲があって、これは恋人同士が兄と妹であることが分かり、みな大喜びでエンドになるというびっくり仰天劇である。ゲーテボーマルシェ以前の文学にはこういう分からないところがある。それ以前なのにシェイクスピアが分かるのは、シェイクスピアが例外なのである。

 なお小宮曠三はドイツ文学者だが、漱石門下の小宮豊隆の息子である。私の先輩で死んでしまった小宮彰さんというのがいて、18世紀啓蒙思想が専門だったが、今のところ関係はなさそうだ。