訂正追加と愚痴

http://poorplays.seesaa.net/article/361249432.html
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 このサイトを参照して訂正を追加しました。
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20110605
 なおそれなりに反論もあって、『義経千本桜』の最後は、頼朝の使者である河越太郎が、頼朝義経の不和は法皇だか朝方だかの陰謀だったと言うのだから、これは兄弟の和解である。時代もの浄瑠璃は勧善懲悪に終わるので、義経が平泉で戦死するなんてことにならないから、当然である。
 歌六猿之助の仲間。で、2000年くらいになると緩和されるけれど、猿之助がそれからしばらく、仲間以外の襲名披露に出なかったのは事実。現猿之助だって歌舞伎座さよなら公演には出なかった。
 「良弁杉由来」を額田六福作と勘違いしたのは、サイニイで検索したからではなくて、まさにそこに出ている国立劇場公演を観に行って、「冬木心中」の方の作者である「額田六福」と「良弁杉」が頭の中で結びついてしまったからである。 
 しかし、橋本治の『浄瑠璃を読もう』(新潮社)は、「菅原」「千本桜」「忠臣蔵」が、竹田出雲、並木千柳、三好松洛と書いていて、初代出雲と二代目出雲を混同したままで、私は連載中から、編集者に伝言を頼んでいたのだが、結局直らずじまいだった。今度から葉書を出すことにしよう。だから、橋本治なら許されるのか、という思いはないではない。
 ただジャン=ルイ・バローに関しては、私はフランス演劇というものに興味がない、というのは事実である。渡辺守章先生に教わってなんたることかと思うけれど、ラシーヌとかモリエールとか、何が面白いのか分からない。
 あと池波正太郎が戯曲を書いているという点だが、それなら筒井康隆だって書いている。私が言いたかったのは、純文学の戦後作家が戯曲を書かなくなったということである。池波の場合は、川口松太郎に連なる、時代小説作家が時代もの戯曲を書いたということであって、三島が書くのとはちょっと違う。あるいは『海の百万石』とか『徳川家康』とか、時代・歴史小説とか、ドラマで話題のものを舞台に載せるのと同系列にあると言えようか。だから大佛次郎の場合は、あまり純文学作家が戯曲を書いているという感じはしない。
なお人形浄瑠璃の一段の細分化については、
http://www.oneg.zakkaz.ne.jp/~gara/ongyoku/hokan10.htm
太夫の人数が増え続け、一興行で多くの太夫を出演させるために、また太夫の格や顔を維持するために、一段を更に細分して上演されるようになった。」
 とある。この人はどう考えたって人形浄瑠璃専門にやっている人である。
 さて、三代猿之助が「金鶏」の演出をした件であるが、ここでDVDに「ディレクテッド バイ トマス・グリム」とあるのは、ヴィデオ・ディレクターのことで、猿之助は「ステージト・バイ」となっている。したがって私の勘違いなのだが、衣装が歌舞伎風であるというのは、毛利臣男が、歌舞伎は初めて、というのは特に問題にならない。毛利を推薦したのは三宅一生だが、一見して、蜷川幸雄の舞台で衣装を担当した辻村ジュサブローを参考にしていることが分かるからである。寿三郎は元々前進座所属で、人形も歌舞伎風である。毛利はそれを踏襲したと考えればよく、別におかしくはない。しかし、猿之助が本格的にオペラの「演出」をしたはずはないという書き方は、私のシニシズムが現れた、よくない記述であった。
あとまあ「曽根崎心中」については、当たった、らしいのだが、再演されなかった。際物であったということだろうが、のち半二が門左衛門の世話物を改作した際にも復活はしていないわけで、テレビなどで田中優子が「大ヒットして」と言う時に、まるでその後も上演され続けたかのように言うので、ああいう書き方になった。より正確にその後は書いている。
小谷野敦)