少し前に、原田裕規の書評がもとで話題になった篠田節子の『青の純度』(集英社)が図書館で借りられたので、読んでみて、驚いた。
原田は、これが明らかにクリスチャン・ラッセンをモデルにしているのに、なぜ自分が出したラッセンの研究書が参考文献から注意深く消されているのかを問題にし、集英社と篠田自身が返答したが、世間では疑惑がくすぶっていた。
だが、読んでみれば理由はまったく明らかで、ラッセンから訴えられることを恐れたからである。筋は、有坂真由子というアートジャーナリストが、一時は一世を風靡したマリンアートの画家、ジャンピエール・ヴァレーズが消えてしまったことについて、ハワイへ渡って調査をするうちに、ヴァレーズの新倉海玲(みれ)という日本人の妻に会い、ヴァレーズが八年前にダイビング中の事故で死に、その死体はイルカに喰われて残骸しか残らなかったこと、のみならずヴァレーズは偽画家で、実は日系のササキ・グラントという男がゴーストライターだったということ、さらにもう偽画家を続けるのは嫌だとヴァレーズが言い出したため、大麻を盛られて事故に見せかけて殺されたということを知るというものだ。
原田の書評当時から、これはラッセンに訴えられるのを恐れたのではないかという声はあったのだが、彼らはネタばれを恐れて筋を書かなかったから表に出なかった。集英社が、書評を書く前に連絡してくれれば、と言ったのは、そうすれば裏でその事情を話したのにという意味だった。だが一度書評が出てしまったらおしまいだ。また、原田が裏でそれを言われても、表には出しにくい。
仮にラッセンに訴えられた場合、参考文献にラッセンの名があると不利になるから、あえて削除したのである。ここで、原田がなぜそのことに気づかなかったのかが不思議だが、やはり美術の人なので、小説におけるモデル問題の面倒さを知らなかったからだと思う。
さらに原田は、この小説の出来を礼讃していたが、それはまあ皮肉かもしれないが、実在の人物を思わせる画家を出しておいて、死んだだのゴーストライターがいただのという筋にするのは、小説として極めて筋が悪い。先日、帚木蓬生が実在の人物を死なせた件で回収騒ぎがあったが、篠田のこれもそれに劣らずひどいと思う。外国人だから気づかれないと思ったのかもしれず、下手をすると比較文学の研究材料になりそうだ。もっとも篠田は以前から、実在の人物をモデルにする手つきに
危うさがあった。
(小谷野敦)