私と鶴田欣也先生の会話というのは、どうも同じパターンですれ違うことがあった。
帰国後、93年に会った時、「いちばん恐ろしいのは恐怖そのものだ」と鶴田先生は言って、おそらく私が発表したものが批判されても、それを恐れることがいけないといったことを話したのだと思うのだが、その時私が、「ええ、無視されるのっていやですよねえ」
と言うと、なんだか虚をつかれたような顔をした。
94年暮れにシンガポールで会った時も、「君は自分の書いたものが無視されると自己嫌悪に陥るんだろう」と言うのだが、いや、自己嫌悪じゃないのだ。
あと97年に博士論文を刊行してさしたる反響もなかった時に電話で愚痴って、梅原猛なんか、『地獄の思想』が英訳されてる、と言ったら、「あんなもの、バカにされるだけだ、ああいう風になりたいわけじゃないだろう?」と言うから、「いえ、なりたいです」と言った。
ヨコタ村上のセクハラを非難していた時も、電話で、「君はさびしいんだ、だから人を攻撃するんだ」と言っていたが、当時は黙って聞いていたものの、今の私なら、「そうです。いけませんか」と言うだろう。