私が高校一年の頃、母が佐藤愛子のエッセイ集『坊主の花かんざし』の1を買ってきて読んでいた。「『坊主の花かんざし』って何かしらねえ」と言うから、「土佐の高知の播磨屋橋で」あたりだろうと思ったが、何だかその時は面倒になって「漱石みたいなもんだろ」と言ったら、母はもちろん意味が分からず「あーら、漱石はとっても偉大な作家じゃない」と意味不明な会話になった。
もっともその『坊主の花かんざし』をあとで読んでみたら、それほど面白くはなかった。佐藤愛子は直木賞の『戦いすんで日が暮れて』は読んだ。このタイトルは軍歌「戦友」の一節だが、田畑麦彦との離婚のゆくたてを書いたものだったと思う。あと父・佐藤紅緑を描いた『花はくれない』とか、少年ドラマの原作になった『マッティと大ちゃん』とか読んだ。津村節子もそうだが、当時は芥川賞や直木賞をとった作家が、少女小説など書いて儲けていたのだ。
しかし佐藤愛子といえば、「朝日新聞」に1994年に連載されていたエッセイ「戦いやまず日は西に」である。これはもちろん、直木賞受賞作のタイトルをもじったものだ。その4月21日の号に、町中で福引をさせようとした青年から「おかあさん、おかあさん」と呼ばれて気持ちがほっこりした、と佐藤は書いた。すると三回くらいあとの5月12日号で、先日の寄稿について、「佐藤愛子もヤキが回った。それはキャッチセールスだ」という投書があった、と佐藤は書き、そんなことを言うなら私は若い時からヤキが回っているのであると書いた。世間知が欠落しているから、色んな人に欺されて生きてきたのだ、この連載のタイトルもそういう意味だ、もしキャッチセールスの男たちにどこかへ連れ込まれたなら、私はそこで戦っただろう。勝つか負けるかは分からないが、だから人生は面白いのである、と書いた。
佐藤愛子の書いたものでは、これが一番面白かった。切り取っておいたはずだが今見つからない。しかし、31歳で阪大へ就職したばかりの私が、こんなエッセイに感動したために、戦ってばかりの人生になったのかという気も、しないではない。それは必ずしも面白かったとはいえない。
ところでこの「戦いやまず日は西に」は、連載が終わったあと、朝日新聞社ではなく海竜社から単行本になり、集英社文庫になった。それはきっと「朝日新聞」との戦いがあったのだろうと思う。そういうところがいい。
(小谷野敦)