敵は濤川栄太

 管賀得留郎こと宮下整の『戦前の少年犯罪』で、戦後教育のために少年の凶悪犯罪が増えた、と言っている「敵」が誰か書いていないと論難したが、先日濤川栄太が死んだので調べていたら、『これでいいのか! 日本の教育 残虐化する少年犯罪』という竹村健一との共著を見つけた。このへんか。なんでちゃんとそう書かないのかね。

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ところで最近「十五年戦争」という表現に異義を唱える人がいるのだが、誰が言い出したのか分からん。ウィキペディアもこういう時はまるで役に立たない。「それは誰の説か」というのは、学問の基礎なのだがねえ。

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http://d.hatena.ne.jp/jmiyaza/20090429/1241019996
宮崎先生である。いちいちのお答えはやめておくが、私は、「大審問官」に感動したりする人は、文学が好きなのではなくて哲学とか宗教が好きなのではないか、と思う。なお三島と女性嫌悪については『なぜ悪人を殺してはいけないのか』の『葉隠』を論じたところで論じている。
 なおここで、三島が死んだので吉田健一ばかり読むようになったという一節を見つけたが、あれは何だったか有名な少女小説(マンガ?)で、古典文学を読むように言われたヒロインが「死んだ人の書いたものなんか読んでもしょうがない」と言うのだが、私はある時期、生きている人の書いた者はなるべく読まないようにしようと思っていたことがある。この世には多くの読むべきものがあるのだし、生きている人というのは力関係で過剰に褒められていたりするから、死んで棺に蓋をし声価の定まったものを主として読もうと思ったのである。もっともこれも一時期のことで、今そんなことを言ったら私より若い作家、書き手もたくさんいるのだが、伊藤桂一なんかそのせいでまだ読んでいない。