巻頭には常連執筆者らによる寄稿が並んでいるが、平川先生だけほかの人の分量をはるかに超えてけっこう長いものを書いている。先日いただいたお手紙と重なる箇所もあるが、富士山を見て感動するのは神道的精神で、だから天皇は尊いとかいうものである。
しかし相変わらずな、すぐ見破れるトリッキーな文章も、やはりある。すぐばれるところがまた憎めないところでもある。というのは、1975年、美濃部−石原の都知事選の頃、天皇がなくなったら美濃部大統領とか石原大統領になるんだぞ、と誰かが言ったら、「それなら昭和天皇のほうがいいな」と新左翼の学生が言ったという。その当時「昭和天皇」とは言わないはずだし、事実の確認はできないが、まあそれはいい。続けて、日本を共和制にして小沢大統領でもいいという者はいないだろう、とある。いえ先生、ここにいます。
小沢でなくてもいいのだが、佐藤優もそうだが、こういう議論をする人は、意図的に、米仏型大統領制を引き合いに出すが、独伊型象徴大統領というのもあることを隠蔽する。天皇制を廃止するとしたら、日本は象徴大統領制だろう。それで私は石原慎太郎でいいと思う。20年くらい前、鯨岡兵輔が大統領に適任だと思ったことがあるが、もういないから、河野洋平でもいいのではないか。
むろん、天皇陛下を崇拝しない奴は非国民だ、という思想を抱くのは自由である。ただその場合、自分は人間の平等など認めない、と言わなければならない。言に長谷川三千子先生はそう言っているはず。まあ平川先生も『アーサー・ウェイリー』439pの注で、『源氏物語』のウェイリー訳を読んだジョン・カーターという人(『火星のプリンセス』ではない)の、これを読んでいるとファシズムや金のことを忘れさせてくれるという感想を引いて「恐慌後のアメリカ人らしい貧乏たらしい感想」と書いている。平川先生は、そういうことを平然と言う人である。(なおこの注に、明代の文人憑夢龍を「ふう・ぼうりょう」と読む、と書いてあるが、ふうむりゅうでもいいのである。確か私のエッセイ集のどれかに書いてあるはず)
それに平川先生は、天皇がタブーになっている、と言い、それはその通りなのだが、天皇制批判とか天皇制廃止がタブーになっているのは明白なのに、どうやら天皇崇拝を表明するのがタブーだと言っているらしい。そんな事実がどこにあるものか。
坪内祐三の文章だけは、最近の『諸君!』は文章が良くなかった、と書いている。坪内自身、ここ数年は依頼がなかったと言うが、実際、『諸君!』は、この数年、おかしかった。以前は、保守オピニオンだけでなく、井上章一さんの連載とか、時にはフェミ二ストの文章すら載っていたのに、この数年は、ひたすらシナ叩きとか皇室護持の文章ばかりになっていて、面白くなかったのである。
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田中貴子さんが病気だそうである。悪い病気でなければよいが、ないし元気になってくれればよいがと思うのである。
六車由実さんは大学を退職したようである。
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先日、鎌倉で鼎談をしてきたが、その際聴衆の中にいた青年から資料を渡され、そこにあった新聞記事で、直木三十五の墓参は昭和26年2月24日、つまり忌日であることが分かった。ただ青年は十七回忌と書いているのだが、これだと死んでからちょうど十七年なので十七回忌ではない。
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香山リカの『えんじぇる』は「せつな」という大学薬学系助手をヒロインにした大学小説なんだが、まるで評価されていない。私には香山さんは何かを論じるよりこういうのを書いたほうが面白いと思うんだが。
(小谷野敦)