1946年に二回にわたって『近代文学』に発表され、平野謙の出世作となった「新生論」つまり島崎藤村の『新生』を論じたものが岩波現代文庫『島崎藤村』に入っていたのを読んだ。今ごろ読むのもおかしなものだが、その後の研究もあったから読んでいなかった。実際平野は、藤村が後日談を書いていないとしていて、三年後にこま子と駆け落ちしようとして兄に止められたことを書いた「明日」(「婦人の国」1925年5-6月)を知らずに書いている。
芥川龍之介が「老獪な偽善者」と言ったというが、ということは『新生』を書いたことで藤村は社会的に葬られず、大家としての地位を保持しえたということになるが、平野は、その理由については考えようとしていない。藤村は戦時中に死んでいて、その没後すぐ、『新生』の偽善者ぶりを剔抉する論を書いたわけで、花田清輝が関心したと関川夏央の解説にあるが、私にはどうも話が逆に見えて、なんでそれまで藤村は大家として通ったのかということの方が気になる。つまり『新生』は、普通に読んだら、なんだよこの作者と主人公は! となるような作品である、ということになって、平野は単にそれをちまちま調べて、「宿命」とかいう言葉を使った大時代な表現で長々と書いたというに過ぎなくなる。ところで中山和子はまだ存命なのだろうか。
(小谷野敦)