井上隆史『大江健三郎論 怪物作家の『本当ノ事』(光文社新書)を読んだ。井上は1963年生まれで、神奈川県の公立共学高校から一浪して東大へ入り、日本近代文学を専攻して三島由紀夫の研究者となり、今は平穏に白百合女子大学教授をしている。前の著書『暴流の人 三島由紀夫』で読売文学賞とやまなし文学賞をとったが、私は『川端康成と女たち』(幻冬舎新書)でこの著作の一部を罵倒したことがある。というのは、井上は、川端ではなくて三島がノーベル賞をとるべきだと思っており、当時サイデンステッカーがノーベル賞財団に提出した三島についての文章が、ほぼ三島を推薦していないのでがっかりしたといったことを書いていたからで、私は、あんな右翼的活動をしている男がノーベル賞をもらうわけがないではないか、バカか、と罵倒したのである。それには、サイデンステッカーは、反共主義者で、右翼的と見られているが、天皇制には批判的だったため、平川祐弘によってその著書『アーサー・ウェイリー』で、サイデンの英訳のために『源氏物語』がレイプの文学にされてしまったと事実無根の中傷を受けていることにも怒りを感じていたからである。
実は私が所属していた東大比較文学というのは、右翼的なところではあったが、実は三島由紀夫は評価されていなかった。私が入る前に主任だった佐伯彰一先生はもちろん熱心な三島擁護者だったが、私の当時の芳賀徹・平川といった人は三島の観念性を評価していなかったし、私もまた三島の純文学が優れているとはみじんも思わない。したがって三島を研究している人にも好漢は抱かない。英文科の後輩で若い頃から知っていた田尻芳樹君が三島の愛読者で、シンポジウムなど開催した時はショックを受けたくらいで、もっともそれ以前から同君との交わりは絶たれていた。
そのような三島を偏愛し研究する井上隆史が、私が近代日本で最大の作家と見なす大江について書いた本書は、刊行されると、大江の「集団自決」裁判で大江を批判する本だとか、平山周吉や阿部公彦といった人たちに好意的に書評されていた。平山はよく知られる保守・右翼評論家だし、阿部もなまくらだが根は保守だろうと私は考えている。
ところが、私は小説家としての大江を高く評価しつつ、政治運動家としての大江は、一点を除いてまったく評価できない、極めて愚鈍な人物だと見なしている。そのことは『江藤淳と大江健三郎』にも書いた通りだ。一点というのは、天皇制の批判者で、文化勲章を拒否したことである。
それに光文社新書というのは私も書いたことがあるが、編集者の無能に怒って縁を切ったことがあり、色んな意味で読みたくない本だったのだが、いつまでも逃げていてもしょうがないだろうと、図書館から借りてきたのである。
この本は、大江の作品を時系列に沿って論じる形になっているが、まず感じたのは、学問的というより文藝評論的な筆致だということだ。私はかねて、近代文学の研究というのは、作品論とかいう段になると「学問」ではないのではないかと考えている。学問といえるのは、伝記研究、本文校訂、典拠研究くらいで、あとは「感想文」であり、恣意的な「分析」である。そして最近では、論者のイデオロギーを埋め込んだ「研究」が大はやりである。井上はかなり恣意的に大江を読んでいくのだが、私が、小説家・大江と政治運動家・大江をまったくの別人と見なしたのとは逆に、井上はこの両者を渾然一体とみて論じ、『ヒロシマ・ノート』や『沖縄ノート』に、「偽善とまやかし」を見出していく。
この本の口絵には、東大文学部に大江の没後寄付された生原稿の写真が掲載されており、このようなことが書いてある本に掲載を許可するとは、大江の著作権継承者(ゆかり夫人、光君、桜麻君)は寛大だなあ、ということだった(もっともこれは東大に寄贈されたので遺族の了承は形式的なものなのだろう)。私は『里見トン伝』を出した時、表紙を里見と愛妾・菊龍のものにしようとして、遺族の山内静夫さんに拒絶され、やむなく里見一人のものにしたことがある。
井上は途中で、このような論の展開は、大江ファンを激怒させるだろうと書いているが、私は反核運動も護憲も、集団自決についても大江を支持してはいない。佐藤優と山崎行太郎は集団自決裁判で大江を支持していたが、この本については何か言ったのだろうか。あと柳美里の裁判で大江が柳を提訴した側についたのは、文学者として許しがたい暴挙だと考えている。このことについて井上が触れていないのは、最終的に『水死』を『万延元年のフットボール』以来の傑作として逆転評価する枠組みにうまくはまらなかったからだろう。
井上は、「セブンティーン」について三島が、大江には天皇への偏愛があるのではないかと言ったことをテコにして、「天皇=三島=父」問題が大江にはあり、それを「みずからわが涙をぬぐいたまう日」から『水死』まで長い時間をかけて決着をつけたと見なしている。だがそれは、要するに井上の「三島文学論」でしかないのではないか。たとえば天皇の問題では大江は江藤淳と激しく対立していたが、井上はその視点は得ていないようだし、江藤と石原慎太郎を、当初は仲が良かったが政治的意見の違いから離反した、とあっさり書いているが、石原はそもそも天皇を認めない人だったから、大江は石原に対しては割とフラットで、『わが人生の時の時』を名作と認めている。
大江は十歳の時に敗戦を迎えており、国民学校の生徒だったころ「こういう皇后陛下がいらっしゃる日本はいいな」といった作文を書いており、心の底に幼年期へのノスタルジーとともに天皇は生きているだろう。戦後生まれの私にしてからが、小学生のころテレビの「皇室アルバム」を観て激しい憧れを抱いたことがある。だからこそ、人は生まれで差別されてはいけないという原理を知ってからは、天皇制廃止論になったのである。
私は井上の他の著作を読んでいないから、井上が天皇についてどう考えているか知らないが、まやかしといえば天皇制の支持者こそまやかしの連中で、私はこれまで天皇制を否定しない人に「あなたは身分制度を認めるんですか」と聞いてきたが、まともに答えた人は一人もいない。時には「あなたは天皇崇拝家ですね」という問いさえはぐらかすありさまで、しかもこれは天皇だけでなく、世界的に君主制というのは、現代の人権思想が及ばない領域になっていて、元来が世襲的身分制度なのに、国連では女を天皇にしろなどと倒錯したことを言っている。こういう中で文化勲章を拒否し、芸術院会員にもならなかった大江は貴重な存在なのである。
しかし井上という人は、同世代とはいえ、オウム真理教事件で自分も関与していたかもしれないと思ったり(これは宮崎哲弥も言っていたが)、私とはだいぶ性質の違う人だなあ、という感じを受けた。未邦訳の英語の評論なども読んでいて、最近の日本近代文学の人はこういうことをするからねえ、比較文学者はお株を奪われるほかないね、と考えたのであった。
なお大江が後期作品で妻の名を「千樫」としているのを「タカシ」に似ているからではないかとしているが、「ゆかり」→「縁り」→「近し」ではないかと思った。
(小谷野敦)