小説は文学ではない

 荒川洋治さんから、新著『文学の空気のあるところ』を送って貰い、ぱらぱら読んでいたら、横光利一が「文学は小説ではない」と発言した、とあった。そして広津和郎がそれに応じて書いた「『文学は小説ではない』について」(『文藝懇話会』1936年1月、『文学論』筑摩叢書)が紹介されていた。しかし横光がどこで発言したか分からないので人に訊いたら、『行動』1935年11月の「横光利一文学談」という、舟橋聖一阿部知二のインタビューのごときものであった(『定本横光利一全集』第15巻、河出)。
 そこで横光は、こう言っている。

 小説というものは、文学だとか藝術だとか今でも現にさう思つてゐる人が多いけれども、さう思つてゐると云ふことが既に非常な間違ひぢやないかと思ふ。僕は小説といふものは文学でも藝術でもない小説だと云ふことをはつきり思つてゐます。小説を批判する場合に藝術だとか文学だとか思つて批判するのは間違ひで、小説はもつと異つた、文学とか云ふものと対立した小説と云ふものだと云ふ気がしますね。

横光はこの年「純粋小説論」を発表して、純文学にして通俗小説、というのを理想として掲げたわけだが、そうなるともう用語は混乱しており、それから横光は『家族会議』のような通俗小説を新聞に連載し始めるので、そのための言い訳だなどと言われたらしい。 
 さて翌1936年9月『文学界』の「菊池・久米を囲む文学論」(川端、芹沢、林房雄、小林、深田、武田麟太郎、阿部、河上、島木、舟橋)では、この阿部と舟橋が参加して、どちらだったか、横光は、小説は文学ではなく、「私小説、随筆、俳句」などが文学だと言っている、と発言し、久米が答えている。つまり「私小説」は「小説」から分離されたわけで、ディケンズ的な作りもの小説を「小説」と横光が呼んでいるわけである。