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 片山杜秀の書評が見当違いであると鈴木氏が思っていることが分かったが、私のブログなどより読売新聞のほうがずっと読まれているわけで、あれを読んだ人のうち「おかしなことを言っている」と思った人は多いはずです。そっちのほうがずっと問題じゃありませんか。
 鈴木氏の言っていることを仮に認めるとしても、そもそも日本の文化というものは、1500年の歴史を持ち、しかも早い時期から平仮名という表音文字を発明していて、『源氏物語』のような高度な文藝を生み出しているから、ユニークであるのは当然のことである。鈴木氏が挙げているような日本と西洋の違いは、違うものだから違うのは当然だということでしかなくて、トートロジーと私には見える。
 なお前に書き忘れたが、日本文学史年表のようなものに、『正法眼蔵』や『立正安国論』が入っていても、仏教の教義について国文学科でやることはない。『正法眼蔵随聞記』などなら、文藝として扱うことはある。その意味で、ルターが扱われるのと同じでしかないと思う。

18世紀の”popular literature”が、19世紀の「イギリス文学史」に入っていますか。

 微妙なところです。サミュエル・リチャードソンは、書簡文範などで多くの女性読者を持っていましたが、そうした文藝は、日本でも最近は研究されるようになっています。また日本でも、軟派文藝と呼ばれるものは、長く好事家が研究するもので、そもそも東大国文科には、守随憲治が短期間いたあと、1976年に森川昭が入るまで、近世文藝の専門家はいませんでした。京大国文は頴原退蔵、野間光辰など早くから近世をやっていましたが、中村幸彦のような泰斗が九大であり、その後も中野三敏が続いている。鈴木さんが東大を問題にするというのであれば、話は早い。今いるのは長島弘明先生ですが、最も純文学らしい上田秋成が専門で、東大国文科では、軟文学を専門とする人は、延広真治先生が駒場にいたくらいで、西鶴、洒落本、滑稽本などは私大でやっていた。今では東大駒場でも、近世軟文学を専門にする人はいません。むしろキャンベル、斎藤希史など漢文の人が増えています。また浮世絵についても、正統な日本美術史では、近ごろようやく扱うようになってきたくらいで、ちゃんと差別されてきたのです。東大を問題にする、というのであれば、芳賀矢一上田万年の態度を基準にしてものを言わなければおかしいではありませんか。
 さて、天皇制があるから、『古事記』『日本書紀』があるのは特異である、というのは、私は前もって予想して、

古事記』『日本書紀』については、近代になってから、それを信仰する人(国家を含め)としない人とがいて、戦後はしない人によって学問的研究の対象となったのだから、何ら特殊だということは言えない。

 と書いたのです。すると鈴木氏は、さっそく、記紀神話の科学的研究がタブーになったのは1940年頃であると言ってきたわけです。その通り、「海彦山彦」を山本有三がとりあげたり、鈴木三重吉が『古事記物語』を書いて何ら問題にならないわけで(前者など神武天皇の祖父を、かたくなな青年として描いている)、それはルナンの『イエス伝』や『ジーザス・クライスト・スーパースター』が問題になる西洋とは違う。従って、記紀神話の神話部分は、ギリシャ神話と大して変わらないわけです。
 鈴木氏はご存知ないでしょうが、私は、クーンにせよ何にせよ、ことがらを抽象化した学問を認めていないのです。近ごろ鈴木さんの同僚の井上章一さんが、日本史の時代区分に疑義を呈していますが、私は、時代区分などというものは単なる便宜であって、鎌倉時代鎌倉時代と呼ぶ厳密な科学的根拠はないし、中世がどこで始まってどこで終わるかなどというのは、恣意的なものだと思っています。つまり、事実を明らかにしていくのが学問だと思っているわけです。すれ違うのは当然でしょう。だから、もうやめにしたほうが良いと思います。
 なお「厚顔無恥」とされましたが、世の中には、自分が間違っていても決して認めない、それを恥だと思っている人がいます。鈴木さんのことじゃありませんよ。私は間違いだったらどんどん認める。それを「無恥」と言うならそれでよいと思います。
 芥川賞は新人賞といっても、受賞者は決して若い人ばかりではないです。辻邦生は候補にすらなっていません。「貧しき人々の群れ」は純文学とみていいでしょう。純文学の基準は時代によって変わるので、樋口一葉の小説をいま書いたら紛れもなく通俗小説です。
 私は『文春と戦争』も見ました。なお菊池が一高を退学になった時の校長は瀬戸虎記で、新渡戸ではありません。菊池は若いころは真正の同性愛者でしたが、それは杉森久英『小説菊池寛』に中学時代の相手との手紙が載っているので分かります。片山宏行は『菊池寛の航跡』をご覧になったようですが、『菊池寛のうしろ影』にそのことは書いてあります。原稿料のところも見ましたよ。しかし、通俗小説に手を染めるのは食えないからである、というのが通説なのに、鈴木さんにはその区別がない、というのはまったく不思議だと思ったのです。人々は、観念で作り上げた純文学/大衆文学という観念にとらえられて、後者により多くのカネを払うのでしょうか(原稿料しかり、売上しかり)。
 実際これを読んで、『真珠夫人』で菊池が通俗小説に転じたという定説を鈴木さんが躍起になって否定しているところ、つまりそんな二分法は昭和になるまでなかった、と言い募っているところは、明らかに間違いだと思いました。
 樋口一葉半井桃水に入門した際、はっきりと、自分が書きたいものを書くと新聞読者に受けない、と桃水が言ったということが日記に書いてありますね。もし純文学/大衆小説について論じるなら、明治期の家庭小説を見なければいけないのではないでしょうか。漱石の『虞美人草』も、二葉亭の『其面影』も、家庭小説の骨法で書かれています。しかし『成立』には、村井弦斎も菊池幽芳も渡辺霞亭も柳川春葉も出てこない。野上弥生子の『真知子』は、中条百合子の『伸子』に触発されて『改造』に連載したものですが、あまりに通俗的だというので最終回の掲載を拒否されて、豊一郎の世話で『中央公論』に載りました。集英社現代文学全集 野上弥生子』(1968)の解説で篠田一士が野上を擁護して怒っています。
 なるほど、数年前に、さる文学研究者に『松本清張研究』という雑誌があると言ったら「なぜ通俗作家の研究誌があるのか」と言って驚いていましたが、私はさすがにそこまでひどくはないです。しかし文藝雑誌の現状は、「これは通俗ではないのか」と言うことさえタブーみたいになっています。安岡や遠藤は、まだ「書き分けて」いましたが、今ではそれすら怪しい。学者の世界では「辻原登は通俗だろう」と言えますが、文壇では言えません。逆に、勝目梓の『小説家』のような優れた純文学が、何の賞もとらないというのは、これは差別でしょうが。
 純文学と大衆文学(通俗)という区別がなくなると、なんで鑑賞眼が高まるのか分かりません。
 しかし鈴木さんという人は、批判されたり疑念を呈されたりすると、物凄い勢いで言い返すので、みんな恐れてしまって「変だな」と思っても言わなくなっているのですよ。結果として周囲がイエスマンばかりになってしまっているかもしれません。お気をつけて。ところで中島一夫氏をよく引き合いに出していますが、紅野謙介さんはどうですか。あの人は「大言壮語」という語で、婉曲に否定していたのじゃなかったですか。鈴木さんがこんなことを言っていて、笙野頼子に攻撃されないのは不思議です。それとも、どこかでされていますか。
 しかしまあ、そろそろやめにした方がいいと思います。多分決着はつかないでしょうから。数々の失礼をお許しください。
(付記)前に引いた、新日本古典文学大系に『続日本紀』があるのはおかしいという丸谷才一の発言は、恐らく『丸谷才一と16人の東京ジャーナリズム大批判』(青土社 1989.11)。