先祖筋の悪口は許さない坪内

 『週刊文春』で坪内祐三が、赤坂憲雄ら編『世界の中の柳田國男』(藤原書店)をとりあげていた。坪内にとって柳田は祖先筋に当たる。
 はじめに言っておけば、私は「柳田國男を研究する」というのは、「民俗学者学」であって、マックス・ヴェーバー学とかマルクス学と同じように、正統な学問だとは思っていない。だがそのことは、あちこちで書いたからひとまず措く。
 これは海外の研究者の論集だが、坪内は、玉石混交だと言い、中でベルナール・ベルニエ(モントリオール大学)の論文を「石」だと言っている。ベルニエは柳田の「先祖の話」をだが、坪内が引用した文章、たとえば、柳田は階級的差異に触れていないといったものを、私は別に間違ってはいないと思った。さらに坪内は、山本紀夫『梅棹忠夫』(中公新書)にも触れて、この中で梅棹が「先祖の話」に触れた挨拶が載っている、ベルニエはこれを読んで何と言うだろうかと書いている。
 そこで図書館でこの二著を借りてきた。ベルニエは、「先祖の話」が敗戦直前に書かれた随筆で、さしたる学問的価値はないと言う。そして「実際のところ『先祖の話』は保守的でナショナリスティックで信仰心の篤い知識人による非体系的な書物である。混乱した時代に、理想化された(大部分は架空の)古代社会や宗教の秩序を復活させようと図った著作である」とまとめている。さして間違ってはいないだろう。もちろん、週刊誌二ページの書評だから、坪内も十分には論じ尽くせなかったろうから、改めて『エンタクシー』ででも、これのどこが「石」なのか、論ってほしい。
 さて『梅棹忠夫』のほうは、単に梅棹が、民博設立の時に、自分らは「ご先祖さま」になりたい、という話の枕に「先祖の話」を持ち出しただけで、ベルニエがこれを見たって「so what?」であろう。それとも、梅棹忠夫は偉い人なんだぞ、偉い人が認めているわがご先祖筋の偉大な学者の書きものを貶すのか、とでも言うつもりなのだろうか。えらい権威主義だなあ。
 (小谷野敦)