書評・葉真中顕「灼熱」ー「週刊朝日」12月10日号

 一九四五年、大東亜戦争と日本では呼ばれていた戦争に日本が負けた時、ブラジルに二十万人ほどいた日本人移民の間で、日本が勝ったというデマが広まった。のちに「勝ち組」「負け組」の争いと呼ばれるようになるもので、日本が買ったと信じる者は「信念派」、負けたという真実をつかんでいた者たちは「認識派」と呼ばれたが、「勝ち組」からは「敗希派」と呼ばれ、ついには勝ち組によるテロ殺人も起こり、長く続いた。今の日本で誤用されている「勝ち組」「負け組」はこれが本来の用法で
ある。               
 『灼熱』は、この「勝ち負け抗争」の小説化で、沖縄で生まれた移民として「勝ち組」の若い者となる比嘉勇と、ブラジルで生まれサンパウロに住んで都会的な知識を持ち、勇の親友だったのが「負け組」になるトキオを中心に物語が描かれていく。               
 この戦争で日本は、米英オランダに宣戦布告しているが、最後になってソ連が参戦、中国もポツダム宣言に参加することで対戦国となり(日本が認知していたのは汪兆銘政府)、解放されたフランスや、当初中立国だったイスパニアと南米諸国も、連合国の圧力で形だけとはいえ宣戦布告していたから、最後には日本は世界中を相手に戦争していたことになり、中立だったのはスイス、バチカンアイスランドアフガニスタンだけ
だったとされる。           
 ブラジルでも日本は敵国となったため、米国のように日系人を収容所に入れこそしなかったが、敵国人として扱われたため、戦勝国であるブラジル内で、負け組はいわばブラジル政府からお墨つきを絵て、勝ち組はブラジルが負けを認めていないのだと思って弾圧されつつ戦うという複雑な事態になった。                
 「勝ち組」の背後には、やはり詐欺師が暗躍したりしていたのだが、「勝ち組」では、昭和天皇マッカーサーが並んだ写真を、マッカーサーが謝罪に来た写真だととらえたり(それなら大統領が来ないとおかしい)、ミズーリ号上での降伏の調印式の映像を、米国側の降伏だと弁士が説明したりしていたとは知らなかった。勝ち組はポルトガル語ができず、現地の新聞も読めなかったし、英語で回ってきた詔書も自分では読めず、これに署名した日本人の軍人を襲撃するありさまだった。そこで浮かび上がるのが、勝ち組が田舎にいて知的水準が低いことから、都市部のインテリが多い負け組に劣
等感を抱き、それがバネとなって事実を認められなかったという点で、このことは現代の「Qアノン」や「ネトウヨ」にも共通する部分がある。  
 私は読みながら、勝ち組が来ると言っていた使節団が来なかったり、勝ち組が認識を改めることを期待している自分が、知的な高みから勝ち組を見下そうという心理
になっていたことに気づき、作者の洞察に恐れ入った。          
 作者は本来ミステリー作家なので、本作もフィクションでミステリー風に書かれたところもあり、事実どおりに書いたほうが良かったかも、という気もするが、特に
欠点にはなっていない。     
 私はむしろ、今の日本にも、七十年前の敗戦を悔しいことだと感じているらしい知的な階層の人々がいることが、むしろこの小説に描かれたことに通じる危うさがあ    
ると感じた。それはいたずらな反米感情と結びついたりして、暴発的なナショナリズムとなり、狂信となり、天皇制をよりどころとして復活しかねないものがある。作者がそこまで考えているかどうかは分からないが、晩年の江藤淳などが質の悪い反米右翼になっていたことも思い合わされ、世に江藤を再評価する人がいることを、私は苦々しく思いながら見ているのであった。もしかすると江藤には、大江健三郎に対しての敗北者意識、保守派の中での孤立意識などがあったのかもしれない。