江藤の姿は、むしろ滑稽であった。・・・佐賀人のほとんど人種的ともいうべき欠陥はユーモアのなさであり、・・・江藤もそうであった。おそらくそのことと根もとでかかわりのあることらしく思われるが、現実というものを自分の存在をもふくめて一段高い視点からながめおろしてみるという習慣、もしくは感覚にとぼしく、自然、政治感覚の単純さに結びつく。江藤の政治感覚は、かれが鋭利な論理的才能をもつわりには、しんぞこは意外に非論理的な義胆といったようなものから発している。義胆が義気を感じて戦慄し、気が大いに騰る・・・
これは司馬遼太郎『歳月』からの引用で、江藤とは江藤新平のことなのだが、そのまま江藤淳に当てはまるのが奇妙だ。これは1968年に連載されたものだから、当時の江藤淳はまだこんなではなかったが、それからあとはどんどんこういう人間になっていく。司馬は大江を尊敬し、江藤より先に死んだが、晩年、江藤の動きを、いかにも佐賀人だと思って見ていたかもしれない。