http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20130906
 これについて、三浦淳先生からお返事があった。
http://miura.k-server.org/newpage219.htm
 私は平野共余子の本がすばらしい、などとは書いていない。単に、江藤は連合軍が天皇批判を封殺したことについては触れなかったと書いただけである。さらにまた、私は江藤の平野批判がダメだ、などとは書いていない。「言行が完全に一致している人間はごく少ない。江藤が自分の家族姻戚について隠蔽したことはそれとして、江藤の他者への批判もそれとして評価するのがまともなやり方であろう。」私にはまともとは思えないなあ。第一に三浦先生は、このことを知らなかったのである。この様子ではまだ杉野要吉の本も森下の本も、私の『川端康成伝』も読んでいないらしいが、平野の悪事はほかにいくらでもある、三浦先生、今ごろその程度で驚いているとは、勉強不足じゃないですかと言ったのである。
 本当に山崎の説か、というのは、その程度のことは前に誰か別の人が言ってるんじゃないかという意味である。三浦先生ご自身が、谷沢永一の説を引いて、としているのだから、別に大した説ではない、と私が言うとおり。(なおその当時、日本人留学生が現地の下層の女を愛人にして、手切れ金を渡して帰国するということはよくあった)。
 「「原作者がこう言っているから、こう解釈できる」 「原作者がそう言っていない以上、そうは解釈できない」 なんてことを主張するのは、およそ文学研究者失格ではないだろうか」と言われるが、「舞姫」については、鴎外は、「太田豊太郎は国家を重んじたのだ」と主張したわけではない。で、私は「そうは解釈できない」とは言っていないのだ。川島幸希を、調査不足と言うほどに斬新な解釈というわけではあるまい、と言っているだけである。なお、原作者も気づかなかった深層を穿つのが文学研究だというのは、まあフロイトあたりが盛んだった80年代の文学研究観ですね。三浦先生もドイツ文学が対象であれば、もうちょっとまともな言い方ができるはずである。
 なお江藤の検閲研究についてさらに言うと、江藤はこのことによって戦後の日本の言語空間が歪み、ろくでもない文学しか生まれなくなったということを『自由と禁忌』で言っているのだが、実際は20世紀後半になって、純文学というのは世界的に衰退したのであり、江藤は、では同時代の海外にどういう素晴らしい文学作品があるか、ろくに指摘できなかったのである。
小谷野敦