凍雲篩雪

 山家悠平『遊廓のストライキ 女性たちの二十世紀・序説』(共和国)がわりとよく書評されているが、私が覗いた限りでは、特段オリジナルなことが書いてあるとは思えなかった。ただし覗いただけなので、ここがオリジナルであると教えてもらえたらありがたい。ところでこの本に「公娼制度」という語が出てくるが、この語の意味がどうもかねてからよく分からない。公娼の対義語は私娼だが、これは徳川時代であれば分かる。幕府が娼婦の営業を認めたのは、江戸の吉原、京都の島原、大坂の新町、長崎の丸山遊郭だけで、それ以外は私娼である。私娼がいたところを岡場所という。各宿場には飯盛女と言われた娼婦がいたが、これも時期によっては、二人まで売女を置いていいとしたこともあり、するとこれも公娼だということになる。
 明治になって娼妓解放令が出るが、これは名目だけで、むしろ娼婦が自発的に売春をしており、店は貸座敷となって、場所を提供しているだけということになった。この建前は現在のソープランドでも生きている。国語辞典に載っている公娼の定義は「おおやけに営業を認められた売春婦。昭和21年(1946)廃止」(大辞泉など)なのだが、売春防止法によって、売春はしてはならないとなったのは昭和三十三年なのに、二十一年から三十三年まではおおやけに認められていなかったのか。ここで、敗戦によって売春禁止令が出て、しかるに米軍軍人を慰めるためのRAAが作られ、日本国は米軍のために日本の女を差し出したという、反米ナショナリストフェミニストが手をたずさえて怒りをぶつける事態が一時的に起こるのだが、では公娼とは何か。
 中には、明治に入って検黴制度ができてからが公娼制度だと、あくまで明治政府が悪いということを強調したがる向きもある。藤野豊などは、売春するのはいいが国家が管理するのはいかんとか、男が買うのはいかんとか無茶なことを言っていた。公娼制度などがあるのは日本だけだと村上信彦がかつて述べたのに対し、藤目ゆきが『性の歴史学』で、英国など西洋にも公娼制度はあったと訂正したのだが、今なお「公娼制度」の語義はあいまいなままである。
 国家による管理を批判する者たちは、検黴制度などは優秀な兵隊を作るためである、という言い方をするのだが、性病が広まるのが公共的にいいことであるはずはなく、そのような発送は極左冒険主義にほかならない。もっとも、この世から売買春を撲滅せよと主張する人にとっては、公娼だろうが私娼だろうがどうでもいいのだろうが、問題なのは、売春を合法化せよと主張する者において、公娼制度はいかんという向きがあることで、かつて私は『日本売春史』(新潮選書、二〇〇七)で、売春防止法は売春規制法に変えて合法化すべきだと主張したが、それでは公娼制度だという声があった。だが、コンドームを着けないサービスなどが行われている現状では、装着するよう指導するほかなく、それを国家による性の管理として排斥するのは間違いである。