尾崎一雄の「ある私小説家の憂鬱」(『小説新潮』1959年10月)は、『愛妻記』という、尾崎の「芳兵衛物語」を原作とする映画の話が持ち込まれた時のことを描いたものである。普通なら随筆だが、尾崎だから小説である。尾崎原作の映画は、最初が「暢気眼鏡」(1940、島耕二監督、杉狂次、轟由起子主演)、「もぐら横丁」(1953、清水宏監督、佐野周二島崎雪子主演)で、いずれも尾崎夫妻を描いたものだったが、「暢気眼鏡」の出来に尾崎は不満で、一つの映画化の企画は途中で不満を言ってやめにしたという。「愛妻記」は1959年、久松静児監督、フランキー堺司葉子主演である。いずれも、ビデオ化はされていないらしい。
 中にこんな一節がある。「家内はもう三十年近く私によつて有ること無いこと書かれて世間にバラ撒かれ続けてゐる。つまりモデル稼業には慣れてゐるから、今更自分のことがどう映されやうと、案外気にしてはゐない」。
 また、こうもある。

家族は観念してゐるから、モデル問題は(当然起つていい場合でも)起きない。それで安心してゐるが、友人知人その他家族以外の人との間にモデル問題が起つたら困ると、私は気をつけてゐる。
(略)
 とは云へ、私も、特定のある人(生死は別として実在の人物)のことを、悪しざまに描いたことは度度ある。悪しざまには書いたが、その人はさう書かれて当然だと思つたからさう書いたのである。お前の主観的判断によるので、あてにはならないと、書かれた当人はもとより第三者が云ひ出したら、私はどこまでも頑張るつもりだ。私は気が小さいから、他人の変な話はもともと内輪にしか書けないのである。内輪に書いてゐるのに、文句を云はれて、その人の気の強さに呆れたが、引込んでも居られないのでこつちも頑張つた、といふ経験が一度だけあつた。