有馬頼義と澤地久枝

 澤地久枝(1930- )が元中央公論社の優秀な編集者で、三枝佐枝子のあとの『婦人公論』編集長と目されていながら、作家・有馬頼義(1918-80)とのダブル不倫がもとで退職したことは知られている。
 有馬の妻は元芸者で、親の反対を押し切って結婚したが、そのことは長編小説『夕映えの中にいた』に描かれている。ここでは妻が主人公で、夕子とされており、周囲の男たちは「雲」「雨」「露」「火」などの名で書かれている。これは『とはずがたり』をまねしたものだろう。そして「露」が有馬である。だがこれには続編があり、「中年の彷徨」として、『文學界』1971年1月から1972年5月まで連載され、未完で中断している。これは単行本になっておらず、そこに、有馬と澤地が使った連絡用ノートの内容が書かれている。これだと、その部分の著作権が澤地にあることになる。なおここでは、有馬は睡眠薬に頼らなければ小説が書けない作家として描かれている。
 だがこの小説が中絶したのは、澤地の抗議があったからではないだろう。連絡用ノートの内容は早くも第四回から明らかにされている。中絶した原因は、川端康成の自殺である。連載の最後のほうは、三島の自決に続いて、川端が都知事選で秦野章を応援したことが書かれており、有馬(露)が、これでは美濃部を応援できない、と言っている。川端の自殺は有馬には衝撃だったようで、自身もガス自殺未遂事件を起こし、以後ほとんど小説が書けないまま、1980年に死ぬ。
 有馬は多作な大衆作家であり、私小説作家でもあったが、未だに伝記はない。年譜も、まともなものがあるかどうか怪しい。そして、有馬の伝記を書くべきなのは、澤地久枝ではないか、と思うのだが…。