私は「満州国」ものが苦手である。ベルトルッチの「ラストエンペラー」も、安彦良和の「虹色のトロツキー」も、面白くなかった。ただ田中絹代が監督した「流転の王妃」だけは面白かった。これは皇帝溥儀の皇后が阿片中毒で、その禁断症状で苦しむところが、煙草をやめた時の自分を思わせたせいもある。しかし概して私には、満洲で馬賊になるみたいな、男の子的な夢にピンと来ないところがある。
小川哲の直木賞受賞作『地図と拳』が、図書館で借りられるようになったので借りてきて読み始めたが、これも満州国ものであるせいか、ピンと来なかった。1899年から1955年までの話のようだが、全部読まずに言うのはいけないのだが、何しろ分厚いし、直木賞の選評で林真理子だけピンと来ていないのと、前作『ゲームの王国』の乗れなさ加減から、どうもこの作家とは合わない感じがした。
その『地図と拳』の冒頭は、二人の主役級の日本人が乗っている船が松花江をいくところで、ロシヤ軍の査察が入り、人々はピストルなどを川へ投げ捨てる中、日本人の一人がカバンの底へナイフを隠すのだが、見つかってしまうという話だった。しかし、ナイフといえば当時旅行をする際には生活必需品というに近く、ロシヤ軍がそんなものを問題にするだろうか。飛行機に乗る時はナイフは持ち込めないので、それから類推したのか、それとも本当に当時ナイフの携行が問題にされたという史料があるのか。小説の冒頭というのは「つかみ」なので、そこからこんな風に引っかかるというのは、どういうものかと、ちょっと思った。
もっとも小川哲は東大博士課程中退なのだが、前に小川がラジオに出た時、司会者の芸能人が、この「中退」というのが何か恥ずべきことだとでも思ったのか、「まあ、もう学ぶことはないというので退学したんですね」などと言っていたのが気になって、博士課程における中退とか満期退学というのを、テレビに出るような学者はちゃんと説明してほしいものだと思ったことであった。(博士号をとらないと「修了」にはならない)
(小谷野敦)