私は、伝記を書いた作家、つまり谷崎潤一郎、久米正雄、里見弴、川端康成、近松秋江、大江健三郎、江藤淳の著作は基本的に全部読んでいるが、それ以外にほぼ全作品を読んでいる作家となると、車谷長吉と西村賢太になろうか。
車谷の「忌中」という非私小説があって、私は好きなのだが、それは作中に越谷と水海道が出てきて、それが私の二つの郷里だからである。
精神科医の春日武彦は、2005年から06年にかけて『文學界』に「無意味なものと不気味なもの」を15回にわたって連載し、不気味な文学作品の短編を15本取り上げて論じている。のち文藝春秋から刊行されている。しかし本業でもないのによくこんなマイナーな小説を読んだなと呆れるくらいだが(ただし古井由吉、高井有一、富岡多恵子など、作者名は有名である)、その14回目で車谷の「忌中」を取り上げて論じている。「うふふ。」という変な題名である。
筋をいえば、流山に住む菅井修治という66歳の金融ブローカーが、妻の病気に苦しみ、心中をはかるが妻だけ死んでしまい、妻の遺体を押し入れに放置したまま二ヶ月遊びほうけ、その後で自分も自殺して、「忌中」と書いた裏面に遺書を書いて、玄関に張っておいたという話である。車谷はこれを、朝日新聞2003年5月27日夕刊にあった三面記事を参考にしたと書いている。永井龍男の「青梅雨」みたいな趣向だ。だがその当該記事は見つからず、春日はフィクションだろうと書いているし、これを架空の記事とした論文もある。だが春日の本が今度中公文庫に入ったのを見たら、実は名前は違っているがほとんど同じ記事が1984年の朝日新聞にあった、という(実はこの発見は文藝春秋の元本の時からあったという)。
1984年8月18日夕刊
玄関に「忌中」の紙張り、自殺 野田で病気と借金苦の老夫婦
死体の状態や遺書の内容から同署は、二カ月半前に病気を苦にして自殺した錦さんの死体を幸八が放置したうえ、多額の借金を抱える幸八もあとを追って自殺したものとみており、死体遺棄事件として調べている。
遺書によると、六月四日、幸八と錦さんが、錦さんの高血圧を苦にして家の中で首つり自殺しようとしたが、錦さんだけが死に、幸八は死に切れなかった。幸八は死体の処置に困り、茶箱につめて隠した。また、幸八は、金融業や知人らから五百万円以上の借金があった。
遺書には、借金の支払い能力がないため、「死にたい」などとも書かれており、妻の自殺と借金を苦にした幸八が後追い自殺したらしい。ただ、妻の自殺をなぜ警察に届けず、二カ月半も放置していたかなど、不審な点もあり、さらに調べている。
幸八夫妻には、子供や身寄りがなく、近所付き合いもほとんどなかったことから、近所の人たちは事件には気づかなかった。