嗚呼嫌なことだ

 さる知人を介して、さる地方大学の教員が、漱石の『こゝろ』の謎解き本を出したので私に送っていいかと問い合わせがあった。私は『こゝろ』が嫌いだし、何より種々の解釈は出尽くしていると思っているが、この人は斬新な解釈だと思っているらしい。そしてどうやら、日本近代文学プロパーの研究者ではないらしい。だが、驚いたのは、その人が、私が漱石について書いた本は読んでいない、と言っていたことである。
 そもそも学問研究というのは、先行研究の精査から始まる。それを、あなたのは読んでいないが送っていいか、とは、論外ともいうべき非常識で、学者失格であろう。なおこの人の論文はサイニイにPDFがあったので見られたが、どうやら石原千秋ともう一人の本を見ただけらしく、それにしてもなんでこの程度で新発見だと思うのか理解に苦しむものであった。「あなたが思いつくようなことは、もう誰かが思いついているに決まっている」というのは、学問の第一歩である。
小谷野敦)