丸谷才一(一九二五‐ )が「徴兵忌避」にこだわる人であることは知られている。既に四十一歳になった時に書き下ろされた長編『笹まくら』(一九六六、河出文化賞)は、某大学の職員である浜田庄吉という男が、かつての戦争のさなか、五年間にわたり、名を変えて各地を放浪し、徴兵を忌避していたという事歴と、それが現在の彼に及ぼす影を描いている。これはグレアム・グリーンの手法に倣ったことが明らかだが、『たった一人の反乱』(一九七二)以後、十年に一冊書かれる丸谷の風俗小説を認めない人でも、この『笹まくら』だけは認めることが多い(ただ私は『横しぐれ』が一番面白い)。
その後短編「年の残り」で芥川賞を受賞した後、一九六九年に書かれた評論が「徴兵忌避者としての夏目漱石」である。漱石は、大日本帝国憲法発布によって次第に全男子が徴兵されねばならなくなる前の、戸主・長男などが兵役を逃れた時代、北海道在住者は兵役を逃れたこともあったことから、本籍を北海道に移して兵役を忌避したといい、「漱石」という雅号は「送籍」の意であって、その徴兵忌避の罪悪感が漱石の文学、特に『こゝろ御』に影を落としていると論じたもので、『コロンブスの卵』(ちくま文庫)に入っている。
別に私はここで何か新しいことを言おうとか、丸谷に異論を唱えようとかいうのではない。まず、丸谷がなぜ「徴兵忌避」にこだわったのか、ということを考えるなら、『笹まくら』新潮文庫版(一九七四)の解説で篠田一士が言うように、これにはモデルがあったらしい。そして、丸谷は國學院大学の助教授だったから、國學院の職員であろうし、國學院といえば、『笹まくら』でもそう書かれているが、右翼的な大学だから、徴兵忌避が特に問題になったのだろう。そして『笹まくら』を書いたことから、漱石についても、その側面から見る、ということになったのだろうと推測される。
ところが、篠田も解説で言う通り、「徴兵忌避者−それは、もう、いまの日本の若い読者には、たとえば、古代ギリシアの奴隷と同じように、なんの実感もともなわない一片の抽象でしかないだろう」としている。その通りであって、私にも、よく分からない。ところが篠田は続けて、浜田庄吉は、良心的兵役拒否者、反戦主義者ではなく、「不幸にして、こうした正義の信者ではなかった」と書いている。つまり篠田の記述の順番は、良心的兵役拒否者であれば、まだ信念のためとして認められるが、浜田の場合は、ただ死ぬのが怖いゆえの兵役忌避者であった、だからそれを「罪」と見て恐れるのである、というのだが、その後に「いまの日本の若い読者には」と続くのではない。篠田の頭では、徴兵忌避者といっても今の若い読者には……しかし浜田は信念あっての兵役忌避ではなく…‥とあるから、その「卑怯」を恥じる気持ちなら、若い読者にも分かるのではないか、と読めてしまうのである。
さあ、もうそれが分からないのである。私の若い頃、つまり一九八○年代初めに、「死ぬのは嫌だ。怖い」といったキャッチフレーズをつけて、反戦思想を表明した人たちがいた。つまり、死ぬのは嫌だ、怖いから徴兵を忌避する、というのが卑怯だ、ということすら、私にはよく理解できないのである。してみると、漱石が徴兵忌避者だと聞いて、どうやら一部の人が色めきたったように、これは聞き捨てならない、とはならないのである。もっとも私は漱石の崇拝者ではないが、そうであってもなくても、死ぬのが嫌だから徴兵逃れをした、で何が悪いのか、と思う。
それに、浜田は、國學院のようなところにいたから、そんなことで悩まなければならなかったのだ、ということになると、小説が普遍性を失って、ローカルなものになってしまう。それが、いつも引っかかるのである。
私は、少年の頃は、ご多分に漏れない、憲法九条護持の平和主義者であった。そして、もし日本が戦争を始めたら、他国へ亡命する、などと言っていた。大学二年の終り頃に、それが非現実的であることを知り改憲論者になったが、ごく稀に、じゃあお前も戦争へ行けよというようなことを言われる。私に限らず、改憲論者は別に戦争をしたがっているわけではない。軍需産業の人々はどうだか知らないが、私は全然関係ないし。それに米国だって今は徴兵制をとっていない。また私は歳をとり過ぎているが、仮に若かったとしても、とうてい兵役に役立たない、運動無能力者である上に、閉所恐怖症である。
それに、命知らずな若者というのは、いくらもいるではないか。レスラーとかボクサーとか力士とか、ないしは暴力団とか不良とか。そういう若者が兵隊に行けばいいのであると、私などは思う。
「卑怯」という感覚が私にないというのではなくて、それはむしろ大いにある。だが、私が往々にして感じる卑怯は、「保身」や「党派心」のことである。これに対して丸谷の感じる卑怯は、「国(仲間)を裏切ること」であるらしい。つまり漱石の『こゝろ』である。党派心というのは、仲間を裏切らないこと、たとえば仲間の仕事であれば褒めるといったことである。つまり、党派的卑怯とは逆の方向に、丸谷の卑怯は向いていることになる。そこに、丸谷という人の一貫した、集団主義的で反個人主義的な志向性がある。
勢古浩爾さんに送ってもらった『最後の吉本隆明』(筑摩選書)に、吉本が理工系の学校へ行って徴兵逃れをしたのじゃないかという、柄谷行人の「あてこすり」や小熊英二のサジェスチョンを猛烈に批判しているところがある。吉本が反戦だったならいいが、軍国少年(青年)だったのに戦争に行っていないから、という文脈なのだが、私には、これも、どうでもいいことにしか思えないのである。
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市川真人の『芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか』に、「恋愛輸入品説」が書いてあるという情報をネット上で発見して、おのれ市川、と三か月くらい図書館で待ってようやく入手したら、なんだ、私の『日本文化論のインチキ』がちゃんと参照されているではないか。
しかし全的に満足な記述とは言えないのは、どうもちょっと夜這いに関して赤松啓介の言うことを信用しすぎで、これは『江戸幻想批判・改訂新版』を見てほしいところである。あと近代恋愛の特徴は、結婚の必要条件が恋愛になったことである。もう近ごろの大河ドラマなんか、戦国時代の政略結婚でさえ、ムリやり恋愛が芽生えたことにしてしまうのだから怖い。
しかし鈴木貞美の小説は、一般的に言って一回くらい芥川賞候補になってもおかしくなかった。最初の『蟻』なんか、田中慎弥のさきがけみたいなものだ。