淀君と淀殿

 先月の「文學界」で、「春琴抄」の春琴は淀殿をモデルにし、佐助は石田三成ではないかと書いておいた。最初は「淀殿」と書いていたが、谷崎先生が「淀君」と書いているので、後半は「淀君」になっている。これに対して、淀君は間違いで、淀殿とか淀の方とかいうのが「正しい」と言う人がいる。しかし、どっちでもいいのだ。淀君はあくまで側室である。『源氏物語』の明石君だって、以前は明石上と呼ばれていた。側室だから「上」はおかしいというので「君」になったのである。
 そんなことを言ったら、「吉田兼好」「細川ガラシャ」「北条早雲」「滝沢馬琴」などみな間違いである。吉田兼好が当時卜部氏で、吉田とは名乗っていないことはよく知られているはずで、私は「兼好法師」と書く。「細川ガラシャ」に至っては、キリシタン禁制の徳川時代に「ガラシャ」なんて呼ばれたはずがない上、当時は夫婦別姓だから「明智玉」が正しいのである。もちろん「細川ガラシャ」なんて言い始めたのは明治期のキリスト教徒である。じゃあ北条政子は源政子か。日野富子は足利富子か。北条早雲は、生涯「北条」などと名乗ったことはない。伊勢長氏、出家して早雲、あるいは宗瑞である。だから正しくは「伊勢宗瑞」で、「新潮日本人名辞典」でも、初めて北条を名乗った息子氏綱の項目に「伊勢宗瑞(北条早雲)の子」とある。滝沢馬琴は、本名滝沢解、筆名曲亭馬琴であって、「滝沢馬琴」なんて名乗ったことはない。
 さらに言えば、「後鳥羽天皇」「正親町天皇」なんてのも間違いで、当時天皇号は使われなかったから「後鳥羽院」はもちろん、「正親町院」と言わねばならない。それから「松尾芭蕉」「与謝蕪村」「小林一茶」とかにしても、俳人は俳号の上に姓をくっつけたりしないから、間違い。「蕪村」「一茶」とのみ言うのが正しい。ちなみに「京極為兼」は「ためかぬ」と読むというのが有力な説である。
 建礼門院にしても「とくこ」と読むのは狂気の沙汰だと角田文衛は言っており、宮尾登美子は「のりこ」とルビを振っていたが、大河ドラマ義経」ではやっぱり「とくこ」だった。
 かくのごとく人名は便宜的なものに過ぎないので、「淀君」と書いたからといって鬼の首でもとったように、間違いだ間違いだと騒ぎ立てるのは、一知半解というものである。

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 池田晶子が死んだようである。どうも、女性文化人で、このくらいの年齢で死ぬ人が多い気がする。如月小春とか、杉浦日向子とか、干刈あがたとか。岸本葉子さんは死ななそうだ。私の好意を受けていると神様が哀れんでくれるのかも。