あとさき、など

私は時どき、あとさきを間違えられるが、『バカのための読書術』が、『まれに見るバカ』のあとだと香山リカに書かれたり、果ては『バカの壁』に便乗したなどと書かれたりする。私のほうが先であって、それに先行するのは呉智英さんの『バカにつける薬』くらいだ。
 潜在的にだが『童貞放浪記』も、映画だけ見て「童貞もの」に便乗したと思っているのがいるようだが、これもまあ、最初は私であろう。
 とはいえ私が気づいていないあれもあって、先輩の藤田みどりさんが『アフリカ「発見」』を出した時には書評をしたが、それより前に青木澄夫の『日本人のアフリカ「発見」』というのが出ていたことを最近知って、ちょっとぎょっとした。尹相仁の『世紀末と漱石』は、佐渡谷重信の『漱石と世紀末芸術』があったからこんな題名になったのだが、芳賀先生が、佐渡谷のあんなひどい本があるからこんな題名になった、と文句を言っていたが、別に佐渡谷のがそれほどひどいとは思わなかった。

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 『講座小泉八雲』に高成玲子という人が書いているが、巻末を見ると、2009年死去となっていて、ああ亡くなったのか(1946年生)と思った。富山国際大学教授だったようだ。 
 それでその名前で検索したら、これが出た。

http://www.k4.dion.ne.jp/~mametoya/takanari.htm
 何か奇妙な文章である。60近い高成を「妙齢の女性」というのからして変だが、彼女が名乗ったあと、何がかっこうが悪いのであろうか。この筆者が誰だか知らないのだが、富山県では県内の大学教授全員を知悉していないとまずいのであろうか。高成という人は著書など一冊もないのだから、知らなくて当然である。死去の報を聞いて何か取り乱して書いた文章のように思う。

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大河ドラマは、前田利家とか山内一豊の時に、史実では全然関係ないところへ主人公がしゃしゃり出るということをやったために、直江山城はけっこう本当に当時恐れられていたのが、これも嘘じゃないかと、まるで狼少年のように信じてもらえないのではないか、という感想を持つ。
 まあ何にせよ妻夫木が大根だから、松方弘樹の家康の悪人ぶりの前に霞むばかり。またあの大河ドラマばなれした「家康のテーマ」の音楽がいい。しかしこれが、滝田栄の家康と同じ人間を描いているとは思えない。
 まあ実際をいえば、秀吉亡きあとは家康、というのが当時の流れで、北政所加藤清正あたりはそれに従っただけだと思う。ただ仮に秀吉が将軍になって幕府を開いていたらどうだったかというのが分からない。鎌倉幕府は源氏が滅びても北条氏は将軍にならなかったし、幕府が二代で滅びたというような例が日本史上にないからである。

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最近、訃報が少ない。柳亭痴楽なんて、まあ死んだ人に言うのは何だが、そりゃ昔の痴楽なら大物だが、単に名跡を継いでいただけだから…。

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吉田秀和賞は岡田暁生だが、なんでこの人はこんなにばかすか賞をとるのだろう。父親が大物だからか? 松浦寿輝もそうだが、賞の独占禁止法でも作ってほしい。

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禁煙ファシストが喜ぶといけないが、私と室井尚の関係はよくない。室井の本もどこか逃げ腰である。あと、これ。
http://www.bekkoame.ne.jp/~hmuroi/tanshin00.html
「がっくりと言えば、最近読んだ、土馬学『ポストジェンダーの社会理論』、山下裕二岡本太郎宣言』、小谷野敦江戸幻想批判』―いずれも少し年下の世代の仕事だけど、がっくりした。いいところはあるんです。ただ、どうでもいいことにこだわりすぎている。よく言えば素直で、悪く言えば自分たちの言説世界に対してあまりにも無批判で従順。きっと、こういう人たちが上からも下からもチヤホヤされるんだろうなあ。だって結局のところ無害だもの。」
 これはその当時から知っていたが、無害でもなければチヤホヤもされていないわけで、室井はいつまでかは知らないが帝塚山学院大学に勤めていたから、佐伯順子の同僚だった可能性もあり、松岡正剛と親しいから田中優子にも繋がっている。これはそういう人脈的な批判としか思えないのである。「自分たちの言説世界に対して従順」って意味不明である。ただまあ、当時の室井は、佐伯さんあたりがどれほどの潜在的権力者であるか、理解してはいなかったのだろう。なお土馬学は土場学の間違い。