音楽には物語がある(34)「さとうきび畑」と沖縄 「中央公論」9月号

 「みんなのうた」で「さとうきび畑」がちあきなおみの歌唱で放送されたのは私が中学に入った時(一九七五年)のことだった。生徒が多すぎて従来の建物に収まりきらず、新しい校舎を建てながら一年生はプレハブ教室で授業をしていたのは、小学校三年生で茨城県から埼玉県東南部のその市へ越して来た時と同じだった。

 英語の授業が始まるので朝から起き出してNHKの「基礎英語」を聴いたり、部活をやらなければと卓球部に入ったが、一週間素振りをやらされただけでやめてしまった。好きだった人形劇「新八犬伝」が終わったが同じ辻村ジュサブロー(現寿三郎)の人形による「真田十勇士」が始まり、買ってもらったばかりのカセットデッキで毎回録音したりしていた。 

 『みんなのうた』のテキストもこの月から買うようになったのだが、そこに書かれた「さとうきび畑」の作詞・作曲者寺島尚彦の、「ざわわ ざわわ」という歌詞に結実するまで何年もかかった、というエッセイの一部を見て、いつしか、これは沖縄戦で父を亡くした作者の自伝的な歌だと思い込んでいた。

 ところが最近になって調べたら、寺島(一九三〇―二〇〇四)は栃木県の出身で、東京芸大を出た作曲家で、一九六四年に沖縄を訪れて、その戦争の時の話に衝撃を受け、それで「さとうきび畑」ができたと知った。「ざわわ」ができるまで十一年かかった、というのはそういうことだったかと思ったものだ。

 私にとっては「さとうきび畑」はちあきなおみと切り離せない歌だが、世間では森山良子の歌唱が知られているようだ。だがこれはキレイすぎる。私の好きな鮫島有美子堀江美都子も歌っているが、私はやっぱりちあきなおみで、あの不安と成長の歓びの入り混じった中学一年時分を思い出す。

 だが、私はいつしかこの歌を心の中で遠ざけるようになっていた。というのは、私が大学へ入った一九八二年に、灰谷健次郎原作の「太陽の子」のドラマがNHKで放送され、私は長谷川真弓が演じるふうちゃんが好きで、大学のサークル「児童文学を読む会」の読書会でも『太陽の子』を取り上げたくらいなのだが、ここでは波照間島で戦争を体験した父が精神を病んでいることが主題になっていた。そしてそれから、どんどん、沖縄での戦争は、政治的に語られるようになっていった。それが嫌だったのである。

 九条護憲論と反米論、果ては集団自決を軍人が命令したなどという説をめぐって大江健三郎が提訴される事件もあった。あるいは、やはり私が好きだった「ウルトラセブン」や「帰ってきたウルトラマン」のシナリオライターに、沖縄出身の金城哲夫上原正三が参加しており、その中には普通のウルトラとは違う、怪獣や侵略者の側が人類の被害者だとする「ノンマルトの使者」や「怪獣使いと少年」があると論じられていた。これらは、論じる分には構わないが、それをもって護憲だの米軍帰れだの安保不要だのと言うのは間違いである。

 寺島のエッセイ集『ざわわ さとうきび畑』(琉球新報社)を見たら、寺島も結局はそういう人になったようで、「ウチナーンチュ」(沖縄人)になりたいと念じ、死後は沖縄で散骨したと書いてある。平和を祈念するのは結構だし、先の大戦は明らかな日本の過ちだけれど、この世には悪の勢力というのがいるのだから、国家非武装絵空事である。

 「さとうきび畑」にしても、そういう政治的呪縛からは自由に歌として楽しみたいし、「怪獣使いと少年」も、「帰ってきたウルトラマン」の中の、変わったしかし優れたエピソードとして楽しみたいのである。