田山花袋の「妻」の中に、柳田国男をモデルとする青年が、もう詩はやめた、農政学の本を読むと言い出す場面が、橋川文三の『柳田国男』に引かれている。すが秀実は『一歩前進二歩後退』の坪内祐三追悼文で、この場面はそれ以後、花袋の脳天気さと柳田の聡明さを示すものとしてたびたび引かれてきたが、そうだろうかと疑問を呈している。
もっともすがは、橋川自身もそういう見方をしていると書いているが、橋川は特にそういう見方をしていないような気がする。むしろ率先してこういう花袋をバカにしてきたのは、すががそれと名ざしすることのできない柄谷行人だろう。柄谷は「告白という制度」でルソーと花袋をともに批判しており、それは結局「告白」はしないで「オーラルヒストリー」で、他人から強要される形をとってようやく「自伝」を語る柄谷につながっているのである。
