新刊です

訂正
13p「羽鳥一英」かずひで、とありますが、かずえい、だそうです。
17p「湯河原や軽井沢」→「湯ヶ島や軽井沢」
49p「十六歳の手紙」→「十六歳の日記
73p「清野君」に「せいのくん」とルビ→「きよのくん」
  「しゅうどう」→「しゅどう」
104p「関西学院中等部」→「中学部」
128p「母の友」→「母之友」
160p 「尾方」→「尾形」
178p「二十六日には日本画家の河内雅渓」→「二十九日」
181p1行目 五月六日→六月七日
185p「死産」ではなく、生まれてすぐ死んだ。これは芥川の自殺の前なので、182pの「七月十八日に帰京」のあとに入れる。そのあとの「秀子は八月か九月と書いているが」の一文削除。「秀子はそれ以後、流産する…噂された」までは、188pへ移動。「五、六か月で」は流産のほう。
188p「二十九日」→「二十六日」
192p、「掌の小説」三編を初出未詳としているが、うち「貧者の恋人」は「東京朝日新聞」1927年5月5日(岩波『文学』1992年春、深澤晴美)
208p「三年間高野山に」→「比叡山
213p みごとな対象を→対照を
218p「三月には淀野隆三が…」→「二月には」
230p「古い日記」は昭和二十九年ではなく三十四年
281p「コスモスの友」とあるのは『乙女の港』の誤り。
293p「八月五日」→「十四日」
305p「十月八日」→「七日」
313p「有光社」→「新声閣」
315p「四日に新京着」→「三日に」
320p「日本小説代表作選集」→「日本代表作小説全集」
334p 石井柏亭と竹本利三を見舞った件は全集二十四巻四三七pの断簡にある。
335p「この日からの日記」→「六月十五日からの日記」
354p「十二月二十六日」→「二十七日」
364p「横光象三」「ぞうぞう」→「しょうぞう」
365p「音羽護国寺の葬儀」「また委員長を」→「久米が葬儀委員長を」
371p「七月二十四日」→「二十七日」
372p「生と死のはざまの老人たち」→「生と死の間の老人たち」「東京裁判の老人たち」→「老人達」
400p「六月二十九日」→「二十八日」
404p「十六日、片岡鉄兵の」→「十月十六日、」
409p「二十六年三月」→「二十七年三月」
411p「葬儀の席で」→「通夜の席」
423p「二十八日」→「二十四日」
444p「東京会館」→「国際会館」
455p「群像」→「新潮」、「遠い道」→「遠い旅」
459p「嶋中雄作」→「嶋中鵬二」
460p「十七日」→「十九日」
464p「八月一日」→「九月一日」
488p「姉の安藤早月」→「妹の安藤早月」
507p「二十四日」「二十五日」→「二十五日」「二十六日」
514p、「美智子妃殿下」朝日新聞東京新聞
520p、北岸佑吉の没年は1976年。
541p、十九日、ハワイへ戻る→二十一日
542p、黒田秀孝が七十八歳で→七十四歳
546p、園遊会、六日→八日
552p「今東光」→「今日出海
556p「日月亭」→「月日亭(つきひてい)」
559p、立野信之、六十六歳→六十八歳 
560p「伊藤整の一周忌」→「三回忌」
574p、「ラテン系日本人だ」→「である」
578p、久松潜一、八十三歳→満八十一歳 
580p、京都の白川書院→東京の
581p、山本健吉、五月六日→七日
582p、昭和三十六年→一九七一年 
   徳田雅彦、三月二十七日→二十四日 
583p、サイデンステッカー、三月二十六日→八月
   上羽秀、二〇一〇年→二〇一二年
591p「戦後日記」「アメリカ滞在日記」『新潮』一九九二年六月→九九年六月

 梅園龍子がピアノを教わった河上徹太郎夫人は、大鳥圭介の孫娘で、犬養道子もこの人にピアノを習っている。
 1958年に沖縄の愛楽園へ行った時の資料として、伊波敏男『花に逢はん』があったのを見落としていた。
http://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/21726e6d9c98f4d825a6810d33d70806 
 ここに書いてあるのだが、伊波氏は信州沖縄塾を主宰していて明らかに左翼なのに、なんでこんなオカルト右翼の取材を受けたのか。
http://soj.jugem.jp/