演劇評論家は嫌われる?

歌舞伎評論家・研究者の渡辺保ウィキペディアには「「田舎の人は演劇より北島三郎のほうが好きなんですよ」と差別発言をしたことがある」と書いてあった。今では「差別」は削除されている。

 大学で演劇を研究して、こんなものは売れないと覚悟している人はいいのだが、一般向けに演劇の本を出したりして、その売れなさに愕然としたりすると、日本人は演劇に足を運ばない、関心がないという怒りにとらえられ、みなもっと演劇に行け、と発言して、一般庶民から嫌われることがある。

 映画ができ、さらにテレビができて、廉価に演劇の類似物は楽しめるようになったのだから、一般庶民が高い演劇なんか行くわけないし、そんな常設劇場があるのは東京や大阪などの都市部だけである。それを、大学の先生をしたり評論家をしたりして、時には招待券なんかもらって演劇に行っている者から「演劇に行け」と言われたらまあムッとするわな。

 もちろん彼らは、生身の演劇を観る観劇は映画やテレビでは味わえないと思っているが、一般庶民は、たまたま観た演目が面白ければ「ほう」とは思うかもしれないが、何度も行くみたいなカネや暇はない(この場合、月に一回が「何度も」で、一般人にできるのはせいぜい「年に一回」)。それに、映画や小説は、好きなものなら二度、三度と観たり読んだりするか知れないが、普通は一度である。それが歌舞伎なんかは何度も何度も同じ演目をやるもんだから、普通は飽きる。

(大学教員というのは、自分がいかに暇とカネがあるかというのを自覚していない。特に都会の有名大学の教授や、まだ30代で独身の准教授は。彼らにそういえば「いやー会議とか雑務で忙しいんですよ」と言うのだが、とうてい一般企業の比ではなく、一般企業並みであったら月に一回観劇になんか行けない)

 また彼らはよく、西洋ではもっと人々が気軽に劇場へ行くし、大学で演劇を教えている、と言うのだが、これはどの程度ホントなのか知らない。後者は実際そうなんだろうが、それは多分シェイクスピアのおかげで、英語圏ではシェイクスピアの韻律のあるセリフの勉強をしているんだろうが、日本では韻律のある劇というのは歌舞伎になってしまうので、事情が違うし、そんなに大学で演劇実技を教えたって学生が卒業後役に立たないだろう。シアターゴーイングにしても、私はおそらくヨーロッパあたりでは貧富の差が日本より激しく、裕福な有閑階級が、18世紀の貴族みたいに社交を兼ねて劇場へ行っているんじゃないかと思う。

 その点、早大演劇博物館の館長は、庶民が観ているテレビドラマを専門としているんだから、その庶民とかけ離れていないぶりはすごい。元はベケットの研究者だったのに。それで副館長には当代随一の歌舞伎研究者がいる。

 たとえばシェイクスピアなんか観たことも読んだこともないという若者にそれを見せると、私が観察した限りではまあ感心するのは四割くらいで、六割は、台詞が大仰だとか回りくどくていやらしいとか思うのである。