円地文子『朱を奪うもの』三部作

円地文子の『虹と修羅』を読了した。『朱を奪うもの』を読んだのが2012年なので、三年かけて三部作を読んだことになる。二番目が『傷ある翼』だ。
 円地自身が、私小説として読んでほしくないと言ったため、『日本の作家 円地文子』の野口裕子などもモデルの穿鑿などはしていないが、やはりこれは変形私小説、変形自伝小説であろう。若い時代から、戦争をへて、『女坂』などで認められるまで25年ほどを描いている。登場人物とそのモデルは、
(主人公)藤木滋子→宗像滋子 上田文子→円地文子(1905-86)
(その養父)藤木志郎 小山内薫(1881-1928)
(円地の実の父)上田万年(1867-1937)
(夫)宗像勘次 円地与四松(1895- )
(娘)宗像美子 円地素子→富家素子(1932-)
一柳燦 片岡鉄兵(1894-1944)
柿沼鴻吉 土方与志(1898-1959)
 ということになろう。大きいのは、実際は上田万年の娘なのに、師である小山内薫の養女ということにしたことであり、夫の職業を新聞記者ではなく考古学者としたことである。
 夫は女にだらしがなく、滋子は文学関係の一柳と不倫をするのだが、これが片岡鉄兵であることは野口もはっきり書いている。
 戦争が終わって、滋子は子宮癌の手術をするが、これも事実どおり、作家として立とうと考えたが少女小説しか道がなくそれでしのいだ、というのは半分は事実で、純文学小説を書いても文藝雑誌に載せてもらえなかったとしてあるが、実際は『小説新潮』などの中間小説誌に書いており、当時は川端康成や里見�嘖もよく中間小説誌には書いていた。
 さて問題は、『傷ある翼』で登場する柿沼である。これはドイツ文学者で、カトリック系の大学の講師をしており、戦争前にドイツへ行き、胸を病んで療養所に入っていたが、退院してドイツにいて敗戦に逢い、連合軍に捕らえられて抑留され、帰国する。滋子との恋愛は戦前からなのだが、戦後、娘の美子が歌舞伎の女優になりたいと言いだし、夫との関係は仮面夫婦で苦労している時に、柿沼が帰国して何くれと相談に乗っているうちに、またできてしまう。
 土方与志は同じころソ連に行き、戦時中はフランスへ行っていて、帰国して逮捕され、敗戦で釈放されている。
 だが最後に、昭和三十年を過ぎて、滋子の作品が純文学として認められるようになるころ、柿沼は肺がんで死んでしまう。三部作はそのあたりで終わっている。
 肺がんで死ぬ、というところで、これは土方与志ではないかと気づいた。土方も肺がんで死んでいるからだ。土方は戦後も左翼演劇で活動するが、小山内の弟子なのだから、円地と関わりはあったはずだ。妻の『土方梅子自伝』を見ると、戦後も土方の浮気に苦しめられたと書いてある。中で、学者の妻で、若い頃は土方と結婚させる話もあった女との浮気、とあるのが、円地のことではあるまいか。津上忠の土方評伝は、公式伝記なのでそういうことは書いていない。
 なお美子の歌舞伎女優志望だが、当時の松竹歌舞伎に女優はいない。ただ前進座にはいたから、前進座の女優を志したのだろう。となればいよいよ土方との関係は深くなるわけだ。そこで滋子は美子に踊りを習わせ、歌舞伎役者の市山扇升に相談に行って、いい家の娘さんだとこちらも扱いづらいと言われる。これは小山内の三男の市川扇升だろう(1948年没)。
 優れた自伝的小説だが、あまり研究する人がいないようなのが残念だ。