パヴェーゼに挫折する

 パヴェーゼの『故郷』が岩波文庫に入ったのを買っておいたのを読もうとしたら、冒頭から、大変読みにくい文章であったから、先に訳者の解説を読んだ。すると、こちらも読解不能であった。パヴェーゼファシズムの下で苦しんだことは分かった。だが、そのことと、「ネオレアリズモ」という技法がどう関係するのか。「責務の文学」だというが、その意味は何か、説明がない。「叙事・叙情の手法」というが、それはいったい何なのか、理解不能である。パヴェーゼは戦後1950年に自殺しているが、その状況については説明しつつ、その理由について何も書いていない。「パヴェーゼ英米文学作品への傾注は高校時代に始まったが」とあるのは「傾倒」の間違いだろう。さらに訳者はこの作品の最初の一文の訳を十年間考えたと言っている。日本語がまともに書けない人が訳しているというのでは、普通に読めない。もしかすると翻訳より原文で読むべきものなのかもしれない。

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学者というのは、定年退官、退任する際に大学紀要に年譜が載ることが多くこれはいい資料になる。東大には紀要がないが、比較文学の人は『比較文学研究』に載るともいえるが、実際は著作一覧だけである。あと東大教授の場合は学会誌に載ったりする。 
 しかし時おり、載らない場合があって、片々たる学者ならそれでもいいが、割と重要な学者の年譜がなかったりする。村松剛が、ない。井村君江先生もなかったので、自伝エッセイ『妖精の輪の中で』(筑摩書房、1999)を参考に作成中である。
 井村先生は、英国人の夫がいて、それが城を持っている貴族だという噂があったのだが、未確認。ただし名前はジョン・ローラーで、1999年に死去した中世英文学者である。ところが、旧姓福田というから、じゃあ井村は何なのだと思っていたら、この本で、はじめに結婚して男児を儲けた美学哲学者の井村陽一が、38歳で死んでいたことが分かった。
 その本によると、宇都宮で、市会議員も務めた土地の大物である福田家の長女として生まれたが、父に愛人がいたため、実母はすぐ実家へ帰ってしまい、祖母を母だと思って育った。その後父は二度再婚して、いずれも子供を産ませている。
 実は井村が東大比較に入学したのは1960年、28歳の時で、おかしいと思ったら、青山学院大修士号をとり、二年助手を務めてからのことだったのである。
 なおこの本は、1999年に脳梗塞で倒れて急死に一生を得て入院中に筑摩の編集者に語ったものらしく、人名に間違いが多い。
・平井敬一→平野敬一(うしろの方では正しく書いてある)
船山徹船村徹
・川原崎長十郎→河原崎長十郎
 といった具合だが、そのほか、年次がはっきりしないことが多い。宇都宮第一高等女学校へ入り、途中で新制宇都宮女子高校になって卒業したというから、46年から51年の在学と推定する。51年から青学だが、52年の血のメーデーに巻き込まれて怪我をしており、55年卒業、57年修士論文提出としても、二年助手をすると59年でしかないので、一年繰り下げるべきかもしれない。
 その後もちょっと疑問で、二年でオスカー・ワイルドについて修士論文を出し、東大大学院に五年いて、新設の鶴見女子大へ行ったというのだが、鶴見女子大の63年の紀要に論文が出ている。77年から二年間、ケンブリッジの客員として滞英し、息子の淳一を英国の学校へ入れたという。ローラーとの結婚は82年。John Lawlor という綴りである。このローラーはキール大学教授だが、99年、井村が入院していた5月31日に死去の知らせが届いたとあり、どうも英日別居婚だったらしい。
 しかし全体として「不思議ちゃん」感の漂う自伝であるのは否めない。とにかく、交遊自慢みたいなのが多くて、美智子皇后と親しいとか、その手の話が多い。あと息子自慢も少なくない。鶴見女子大へ呼ばれた時、「豊田実英文学博士」が「久松潜一日本文学博士」のところへ連れて行って、という具合なのだが、はて豊田実は博士号を持っていただろうか(後記:持っていた)。
 さる出版社の連帯保証人になったら、それが英国滞在中につぶれて、社長は夜逃げしてしまい、負債を負って大変だったという話が出てくる。どうやらこれは大門出版なのだが、とすると89年のことで、夫のローラーがどうしていたのか、とんと分からない。助けてくれたのは水木しげる荒俣宏で、債権者が荒俣のファンだったので、荒俣が乗り込んで話をつけてくれたとか、やっぱりファンタジーなのである。
 さらに、毎日新聞から日曜版の連載の話があって、その記者の名前が「福田淳」といい、旧姓と、息子の淳と同じ字で縁を感じたとか、そういう具合。
 のちに福島県金山町で、妖精の森というのを作って井村を名誉村長に選ぶのだが、その町会議員と話していて「ふるさとは遠きにありて思うもの」というのが、石川啄木だと、議員が言うから、いえそれは室生犀星ですと井村が言うと、ほかの議員も、啄木だと言い、多数決で負けてしまったという、また珍妙な話もある。
小谷野敦