大逆事件の二つの見方

(承前)
 今年は大逆事件の百周年だったが、この事件に対する二つの見方の対決は、遂に行われないままだった。というのは、
1、山県有朋によるフレームアップである。管野スガ、宮下太吉ら四人以外は冤罪である。けしからん。
 というのと、
2、天皇暗殺を計画した管野スガらは、素晴らしい(ないしそのこと自体を評価すべき)革命家である。
 という二つの立場である。
 絲屋寿雄は、それまで「1」ばかりが目立ったことに抵抗して、「2」の立場で『管野すが』を書いたのである。しかし黒岩さんは、1970年のこの本と、1987年の本、および清水卯之助の『管野須賀子の生涯』(2002)を読むと、まったく印象が違う、と言う(*)。しかしそれなら、やはり70年に出た瀬戸内晴美の伝記小説『遠い声』も参照してほしかった。
 ところが、ではそれらの本のどこがどう違うのかを説明しないまま、黒岩さんは、いきなり絲屋著を攻撃するのである。これはいかにもアンフェアであろう。このあたり、記述に統一がない。「印象」でものを言うのは、実証史学者のすべきことではないし、いや、あるいはこの本以外に、詳しく書く予定だったのかもしれないが、どうも見るところ、「男から男へ渡り歩いた妖婦」という見方が黒岩さんには気に入らなかったらしい。だが、スガにそういう面があったことは、否定できない。そして堺の、スガは笑顔が魅力的だった、という言を引くのだが、魅力的だからこそ、恋愛遍歴の女になるのであって、それは同じことの表と裏でしかない。
 それに黒岩さんは「天皇暗殺という幻想にとりつかれた」とスガのことを書くのだが、「幻想」とは何であろうか。ここで黒岩さんは「1」の立場に限りなく近い。平出修は、小説「逆徒」で、スガに対しては敵意を表している。スガが、同志を巻き込んでしまったのは事実だが、スガを肯定するのであれば、天皇暗殺計画を含めて肯定するのでなければおかしい。黒岩さんは、大逆事件を扱った文学者の名前を、徳冨蘆花石川啄木などと列挙しているのだが、一人抜けている。久米正雄である。しかしそれは、私の『久米正雄伝』がまだ出ていないのだから、仕方がない。
 魅力的であり、恋愛遍歴をし、ヒステリックなところもあり、先駆的な革命家でもある、という全体として管野スガを捉える、ということを、黒岩さんはやり損なっている。瀬戸内晴美には、それができた。それは黒岩さんが、政治的立場を最終的に曖昧にしてしまったことを意味するのである。だからこそ片山杜秀ともつきあえるわけだ…。
 それと、堺を称揚するために、女性解放論者として先駆的である、平塚らいてうの『青鞜』より六年早いと白柳秀湖が書いているのをそのまま引きうつしているのだが、女性解放運動などというのは明治初年の森有礼福沢諭吉からあったもので、なかんずく明治20年以前に婦人参政権運動があり、国木田独歩の最初の妻の母である佐々城豊寿が活躍したことを、黒岩さんが知らないはずはないのだ。
 また、桂太郎西園寺公望が交互に政権を担ったのを「桂西時代」と書いているのだが、それは「桂園内閣」「桂園時代」とするのが普通で、なんで「桂西」などと書いたのだろう。それとも当時はそう言われたのだろうか。
(*)この『管野須賀子の生涯』は、著者清水が1991年に死去して未完だったものを、断章を加えて編纂し刊行したものであり、本文は妹秀子の死で終わっている。寒村との別離と秋水との結びつき、大逆事件のところがまるまる書かれていないのである。そんなものと比べて「印象が違う」と言われても困るではないか。