吉村昭の『破船』と「日本残酷物語」

 吉村昭は、純文学のほかに多くの歴史・実録小説を書き、もっぱらそちらで人気のある作家だが、中に『破船』(1982)というのがある。中編小説程度の長さだが、タイトルは久米正雄が、松岡譲と恋の鞘当てをしたのを書いてベストセラーになった『破船』と同じだが、吉村のは歴史小説めかして、徳川時代にどの地方ともしれない漁村で、難破船が漂着すると中のものを、食糧や金銭などを奪ってそれで生計を立てているという恐ろしい話である。それがある時、難破船を襲ったらそれは伝染病のため船員が死に絶えた舟で、その村に伝染病がはやってしまうという展開を見せる。

 しかし、この話には史料の裏づけがなく、吉村の想像を小説にした希有な作品のような気がする。そしてこの話は、『日本残酷物語』に入っていそうな話である。『日本残酷物語』といえば、宮本常一の「土佐源氏」が入っていたことで知られるが、この逸話が実話ではなく宮本が書いたポルノグラフィがもとになっていることはすでに明らかにされている。

 仮に歴史学者が、こういう「モンド映画」みたいな話を史料に使ったら大変なことになるだろう。『破船』のような村は、実際にはありえないし、徳川幕藩体制はそんな村を見逃すほど間抜けではない。だから、これを歴史のありえた話として扱うことはすべきではあるまい。吉村昭にもそんな作品があるのだ。

小谷野敦