こないだから『仮面の忍者赤影』のDVDを観ている。オープニングの歌に「どんな顔だか知らないが」とあるが、子供の頃、赤影が仮面をとっていた記憶があったのだが、観ていると、とっているどころではない。戦闘に当たって赤影に変身すると言ってもいいくらい、しょっちゅう素面を見せている。まあ主題歌などというのは、本編作成以前に作られるから、こういうことも多い。
「ウルトラマン」だって「自慢のジェットで敵を撃つ」だが、スペシウム光線は「ジェット」ではない。
「篤姫」はだんだん良くなって来た。阿部正弘を「伊勢守」と呼ぶようになったのは、私の意見を採り入れたのだな(?)。
ジェローム・K・ジェロームの『ボートの三人男』を読みかけたら、いかにも英国人風の、さあおもしろいだろうおかしいだろうと言いたげでしかしちっとも面白くないギャグの連続で嫌になってやめてしまった。フラン・オブライエンもそうだが、英国ユーモアというのは、いくら日本人が西洋化したって面白いものではないし、ああいうのが面白がれるためには、腹の底から英国人か何かになっていなければムリだろう。よく版を重ねているものだ。
水谷三公という人は「江戸幻想派」かなあ、とちらりと思ったことがあるのだが、まあさして影響力もなさそうだし、放置しておいたのだが、四月号の『中央公論』で「皇室典範検討は喫緊の課題 皇室存続の危機を直視しよう」なんて対談をやっていたので、ちと驚いた。しかも水谷は、天皇制は民主主義と矛盾しない、などと当たり前のことを言っている。小林よしのりは『わしズム』の天皇制特集で、天皇制は民主主義という危うい制度の抑止力になると言っていたが、これは明らかに小林の間違い。立憲君主制が民主主義と矛盾しないなんてのは当たり前のことで、そうじゃなくて天皇制は人権思想と矛盾するのである。政治学者なのにその程度のことも分からないか、あるいは知らないふりをしているわけで、水谷って人、やはり曲学阿世か、と思いにけり〜。