人間を尊敬しない

 大塚ひかりさんが、安田登という人を「尊敬している」と聞いて、ほ、と思った。人が誰かを「尊敬している」などと言うのを聞くのは久しぶりだったからだ。

 私は、人を好きになることはあるが、尊敬はしない。若い頃、柄谷とか蓮實とか西部とか呉智英とか色んな人を崇拝して、結局失望してきたせいもあり、人間である以上みな何かしら欠陥があると思っているからだ。

 明治ー昭和期の人間を見るとみなよく恩師とかを尊敬している。まあ、それが家父長制というものだ。そこにはしかし体裁というのもあって、人は「私が尊敬しているのは××先生です」などと言う人を信用するもので、短歌や俳句の結社では、結社の指導者や創設者は神のごとく崇められている。私が短歌や俳句が好きになれないのはそのせいである。学問でもそうで、いつまでも昔の先生を尊敬しているというのは、何か気持ち悪い(その先生を好きだというのは別にいい)。幸か不幸か、私はあまり尊敬に値する師匠を持たなかったので、今ではこんなことになっている。それは、まあ淋しいことではある。だが、好きな人はいるのだから、別にいい。もちろん、この好きな人というのは、大学での師匠でも、蓮實や柄谷やではない。