詮衡から選考へ

 芥川・直木賞の「詮衡委員」が「選考委員」に変わったのはいつか。「直木賞のすべて」の川口さんに訊いたら、直木賞については、『オール読物』誌上での発表では、
第39回(1958年10月号)までが「銓衡」
第40回(1959年4月号)からが「選考」
 ということであった。芥川賞については資料がないらしく、私が『文藝春秋』を調べたところ、直木賞と同時期かと思っていたらこちらのほうが早く、
 第34回 1956年3月までが「詮衡」(石原慎太郎)で、第35回 同9月(近藤啓太郎)から「選考」になっていた。

                                                                            • -

門閥制度に反対していた猿之助の名が、結局は甥の亀治郎が継いで、息子の香川が親子の情で泣かせようとしていることで、佐伯順子さんが『究』一月号で怒っているのだが、なんか尋常でない怒り方。「亀治郎」が一貫して「亀次郎」になっているし、波乃久里子が初代八重子に「私淑」したって誤用だろう。
 まあ天皇制を認める佐伯さんが、そっちはどうなのか、と訊いても答えるはずはない。わざわざ佐藤優の言も引用しているし。