文学的被害妄想

 川口則弘さんから新刊『ワタクシ、直木賞のオタクです。』(バジリコ)が届いた。
 すでにブログに書いたもの、と聞いてはいたが、やはり読んでないものもあり、読んでいると、有馬頼義の、直木賞をとったあと一年近く注文がなくて苦しんだ、という述懐が間違い(嘘)であるという記述があり、おおっ、出ました文学的被害妄想、と思ったのである。
 『川端康成伝』で紹介したが、林芙美子が死んだあとのしのぶ座談会で、林が、『放浪記』で世に出たあと、『新潮』に書かせて貰うまで二十年かかったと言っていた、という話が出ている。だが、実際にはほどなく書いていたし、誌名の間違いかと思ったが、林は最初から『中央公論』『改造』その他主要な雑誌には寄稿しているのである。
 また『江藤淳大江健三郎』に書いたが、江藤淳は『夏目漱石』を出したあと、中村光夫に会って、「注文はあるかい」と訊かれて、「いえ、全然ありません」と答え、中村が「そうだろう、僕もそうだった」と言っているのだが、江藤はやはりじゃんじゃん書いていたのである。
 さらにさかのぼると、自然主義全盛、と言われたころ、自然主義ではない泉鏡花が、仕事がなくなった、と中村武羅夫や谷崎にこぼし、彼らがそれを書いているのだが、鏡花が作品を発表していない時期というのは別にないのである。
 これらは、被害妄想なのか、謙遜なのか。文壇で苦労をすると、それがついに時日をへて妄想にいたるのか。江藤の場合、リアルタイムで言っているのだから、まあ「嘘」であろう。
 川口さんは、純文学に締め切りはない、と書いていて、まあそういう傾向もあるが、連載の場合はあるわけだし、西村賢太の日記など見ていると、どうも締め切りがあるらしい。だが身分の低い純文学作家は、「何か書けたら見せてください」程度のことを言われるだけで、そこで出して没、ということが多い。太宰治賞をとる前の吉村昭などは、出して没のくりかえしであった。いや、これを、新進作家だけの運命と思ってはいけない。十数年前に芥川賞をとった大道珠貴は、『かまくら春秋』に短い連載をしているが、これが好きこのんでやっているわけ、はないので、そりゃ文藝雑誌で載せてくれないからに決まっているのである。
 ということは、有馬、林、江藤らの言は厭味でもあって、「そんなこと嘘でホントは書いてるんだよ。ホントに書かせてもらえない君らとは違うよん」というような意味合いすら持つのではないか。嗚呼嫌なことだ。
小谷野敦