東アジアの留学生でもつ学会

 私が東大比較文学の大学院に入った時、韓国、中共、台湾など東アジアからの留学生が多いのに驚いた。たいていは、研究生をへて大学院に入り、博士号取得をめざす。だから、文学博士から学術博士に変わって最初の課程博士をとったのは劉岸偉さんだった。その後しばらく、芳賀先生の肝いりで、サントリー学芸賞は比較の東アジアからの人がとることが多かった。張競さん、劉さん、成恵卿さん、尹相仁さんらである。中共から来た人は、独裁国家へ帰らず日本にい続けるが、韓国から来た人はたいてい帰国した。
 だがその内、国文科でも東アジアからの留学生が増え、私大でもあちこちでどんどん増えていって、経営の苦しい私大などは、留学生でもっているという状態になった。留学生を受け入れると文科省からカネが出るからである。だから概して、留学生への基準は日本人より甘くなった。つまり、日本人が西洋諸国へ留学するように、「先進国」である日本へ来るのである。
 劉さんは周作人一筋だが、ほかは、日本文学をやったり自国の文学をやったりである。ところが比較文学会では、大会でも支部大会でも、やたらと東アジアからの留学生によるものが多くなってきた。あたかも大相撲におけるモンゴル力士のようである。なんでかというと、日本人院生が発表しなくなったからで、それはつまり、比較文学会で発表しても就職につながらないからであろう。
 では留学生の発表内容のレベルが高いかというと、そうも言えない。今なお、関係ないもの同士の比較などというのをやっている人もいる(これは学問ではない)。さらに、東アジアについて研究しようという日本人も、何人かいて、特に四方田犬彦がそうだった。映画とドラマは、確かにそれ以後、日本でも知られるようになったものが多いのだが、小説となると、莫言ノーベル賞をとったが、これとて、「紅いコーリャン」が映画化されて知られるようになったのだ。韓国となると、日本である程度読まれている純文学作家がいるのかどうかも怪しい。もちろん現代でなくて過去でもいいのだが、それも怪しい。古典漢文となると、それ相応に専門家がいるし、和漢比較文学会というのがあるので、あまりない。どうするどうなる比較文学会、である。